風がついた嘘

風がついた嘘

手のひら一杯に集めた色とりどりの宝石を、光の中に投げ入れ、ちりばめられた一瞬を止めている。
海を望むその街は、その光の輝きの一瞬だけを切り取ったような、写真のような現実の中で、春の日差しに包まれていた。写真に写した一瞬の光景が、また、映された一瞬の中に還元して行く、そんな時間だった。
瞬きする事さえ、惜しまれるような光の美しさの中で、まぶたを閉じる、それでも、閉じたまぶたの隙間からでさえ、その美しさは、忍び込み、その美しさを感じさせた。
その年の春は、光りと共に現れ、そして、少しだけ美しいその姿を見せていた。しかし、その繊細の中には、やがて、去りゆくという儚い運命があった。美しさの相反には、儚さが付き纏う。東洋の美学の本質の中に、その光景は存在していた。
去りゆく運命が、近づいて来ている切なさに映される一瞬。
その訪れこそ、一番美しい瞬間であり、その瞬間が、海のある街を包んでいた。
海から、聞こえてくる波の音は、春の光の陽気さに包まれていた。
波と共に刻み込まれる音韻は、ただ、優しく、どこまでも、平和でいて、柔らかい音だけを奏でていた。
潮風は、海の浪間と空間との間を行き交い、時間は、その中で、逃げ場を失ったようにあいまいで、ぼやけていた。だから、時間はあくまでも、感覚であり続けた。そんな印象さえ与えていた。
やがて、その美しい空間は、時間と相克を繰り広げ始めた。時間が、空間の中に溶け込み、自分の存在が消滅してしまうと感じたかも知れなかった。それでも、空間は、時間を刻ませたくないと存在を鮮明化させた。空間と一体化しようとする時間が主張し、両者が誇示するように主張している空間と空間が生み出されていた。そしてその両者の中に、光りがあって、海があって、街が構築されていた。
ひとしきり時間と空間が争った後、空間から離れさせられた時間は、自らの存在意義を失ったかのように、時間を止めようとしている、そういう瞬間であり、“空間”が新たに生まれていた。写真の中の一瞬の還元は、まさにそこから、再び時間と空間に戻ろうとする出来事の中にあった。

春の日の日曜日の午後。

彼女と、彼は、いつものように喧嘩をした。二人の喧嘩は、まるで、朝起きて、顔洗って、歯を磨いて、というような毎日の日課のようだった。喧嘩をして、二人の気持ちを確かめあう、そんな愛の形があった。
けれど、いつもと形容される喧嘩は、その日の午後、いつもの喧嘩とは違っていた。
久しぶりにあったのに、一時間も経たずに、2人は何も言わずに別れた。その日、彼の心は、感情が心の中に映されない位、渇いていたから、今までのように自分から切り出して、やり直そうとは思わなかった。
付き合いだして、毎日のように愛していると言っていた頃も、時間が経てば、その感情も二人の間で薄れていった。二人の間で、愛と言う感情は深まることはなかった。
彼の本当の感情と異なる感情を映し出した言葉は、やがて、彼の心の中に別の感情を生み出した。その別の感情が、強く意識できるほど、心の中で形になった。
「愛している」
と彼女の耳元で言った後で、彼は、彼の心の中で、嘘つきと言って、自分を笑い続けるようになった。何言っているのだろう、俺は、と思った。やがて、彼から愛と思っていた感情が、なくなった。
彼に、愛があった頃は、
「愛している」
と彼が言うと、
彼女は、喜んだ表情を見せた。彼女がその時、一瞬見せる、目の中の恍惚に、彼は、幸せを感じることがあった。彼は、これが幸せなのだと感じることがあった。
けれど、その感情も、彼からは、次第に消えた。消え去りかかる時、幸せという感情さえ、偽りの上に構築された影であるかのように感じた。けれど、彼は悲しくなかった。それよりも、真実を知ったことへの喜びの方が、大きかった。
彼は、
「愛している」
と言って、彼女を喜ばせているだけだと、気付き始めた。彼女を喜ばせることが、自分の幸福でないと知り始めた瞬間、彼の心境は変貌した。愛とか幸せは、本当に存在するのだろうかと。
彼女という、女性の性を持つ存在は、男という性を持つ存在の感情には、直感的にそして、時に過敏なまでに反応した。
彼の感情的な消失が深まり、気持ちのない言葉が続く度に、2人は、色々な場面ですれ違った。愛していると言われることが、彼女には苦痛になった。
彼女は、
「愛している。」
と言われるたびに、その言葉に対して、さらに、さらに懐疑的になっていった。
「本当に、愛してくれているの。」
彼女は、愛していると言った彼の表情を見つめながら、心の中で、彼に問いかけた。
その問いかけが始まった途端に、彼女から、恍惚の表情は消え去って行った。鬱陶しいとさえ思い始めた。

彼には最初から愛はなかった。ただ、愛を求めていただけだった。あるいは、見返りのある男と女しか、求めていなかった。だから、愛の姿が異なると、愛を求める気持ちが変わって行き、やがて、愛を求める気持ちが、なくなると、愛しているという言葉も意味を失った。あるいは、彼にとっては、「愛している」という表現は、唯物主義の合間の一つのツールにすぎなかった。
彼にとって、愛は、孤独からの回避だけの為にあるような気がしていた。それは、愛が必要なのは、ただ、自分を孤独から救ってもらえるから、そのために、ツールが必要なだけだった。
愛によって自分の孤独が救われないと分かると、彼の中から、彼にとっての愛という観念は、消えていった、そのツールは使えないツールだと分かったからだった。彼は、本当の愛を知らない、と誰が言えるのだろうか。観念的なその存在が、もしかしたら、人の幻想で、想像された対象だけであるのに。幸せがあるという人達と彼を比べ、彼を不幸と言えるのだろうか。もし、彼が不幸になるのであるなら、真実の愛が、本当に存在し、普遍的である必要があった。普遍的で、真実であるという愛は、本当に存在するのだろうか。
唯物論が人を狂わせたのではなく、唯物の上に、愛という別の真実を構築しようとしているだけなのではないか。男と女の存在の上に経済原則が生じた時点で、愛の存在は、消えてゆく。消えてしまった存在そのものが、彼にとっては愛だった。
海のある街の至る所、高層ビルの立ち並ぶ、荒涼としたコンクリートの砂漠。彼は、その場所、場所で思い出として残る空間で、過去の二人を思い返してみても、ただ、ひたすら時間の経過だけを感じただけだった。すべて無駄な時間が残っている気がした。
夢の話も、日々の話もすべてが、深い霧に包まれて、過去に起こった一事象になっていた。真実とは、唯物的な自分がただあるだけを知っただけであった。

海のある街で、彼は、彼女が別の男と歩いているのを見た。彼女が、楽しそうで、幸せそうに見えた。彼に見せた、「愛している」と言った時に見せていた恍惚の表情が、実は作り物であった気がした。虚偽と虚無の狭間に存在しているのだと思った。
彼女の姿を見た時、彼の心の中には、感情性が浮かばなかった。どこかに欠如があって、喪失さえもがあった。ただ、その喪失性は、別れた事に後悔という感情も生まなかった。
無機質な観念で、内実も捨て去られた、「愛している」というセリフだけが、心に残っていたる気がした。愛がないから、真実に戻ったと納得させた。ただ、それなのにまた、愛を求めようとするのが不思議だった。愛は、本能なのだろうか。
彼は、次第に自分の視界から遠ざかって行く二人を見つめながら、心の中で、過去の感情を探した。本当は愛していなかったと思い、ふと、空を見上げた。広大なまでの青い空が広がっていた。無機質で、すべてを吸収していきながら、何も反応がない、ただ、ひたすら青い色を湛えていた。その光景に、彼は、本当の自分に似ている気がした。
自分は、まるで、死ぬまでの時間をただ、生まれてきたから生きている。そこには、何の意味さえ持たない気がした。
愛は、彼にとって、存在しない気がした途端、愛の存在が、心から消え去った。それは、今まで映されていた光景が、瞬く間に消え去って行くような感じだった。消え去って行く残像に、後悔だとか、悔いと言う言葉も存在しなかった。
心の中から、愛と思っていた感情がことごとく消えたとたんに、死の存在が彼の心の中に映された。
自分は、死ぬ前に、涙を流すだろうか、生きて来てよかったと思うだろうか。
あるいは、死を宣告されたら、幸せだから、死にたくない、もっと、生きたいと思うだろうか。そのような感情を持つこと、それを不幸と言うなら、彼は不幸だと思った。けれど、自分は、本当に不幸なのだろうかと彼は思った。「愛している」と偽って生きる方が、不幸ではないか。彼はそう自分に言った。
もしかしたら、「これから、すぐに死にます」と宣告された時に、死に対して、死ねることに対して、本当の幸せを感じるのではないかだろうか。「愛している」と言うよりも、言われるよりも、幸せなのでないだろうか。存在の消滅に、幸せを求めていけないのだろうか。
死んでよかったね、生きる苦しみから解放されて良かったねという死人をねぎらう言葉が、潮風のある街がある東洋の地には存在する。彼は、その本当の意味を今、やっと彼は分かるようになれた気がした。

遠くに広がる青い空から目を離した。目の前には、現実の世界が、遠く繋がっていた。二人の歩き去った方向に視線を移した。
ついこの前まで、「愛している」と言っていた、その人が別の男と腕を組んであるいている現実。きっと、「愛している」と言っていた最中なら、嫉妬をしていただろうと感じた。
けれど、彼の心の中には、恋とか愛の苦しみはなかった。
生きるために、楽しそうなふりをして、明日を生き延びるために、愛していそうなふりをしている。それは、孤独から逃れたいから。孤独から救われるために、男と女の存在自体があるとしか、彼には思えなかった。ふと、そう思ったことで、彼の心の中に僅かな、不安が姿を現した。彼女の顔を思い浮かべた。「愛している」と言った時に嬉しそうな表情をした彼女そのものを思い浮かべた。
「今でも、愛しているか。」
「過去に、愛していたか。」
「本当に、愛していたか。」
彼は、心の中でつぶやいた。
きっと、過去のすべて嘘だったと、心の中で打ち消した。
きっと、風が嘘をついたからだ。だから、瞬く間に過ぎ去った、と男は言い訳をした。
いつも、いつまでもただそれだけなのだと、彼は、目を閉じた。
そして、風がある限り、同じ事が続くと、付け足した。
やがて人生もまた、風のように過ぎ去っていくのだと信じた。
そこには、何も残らない、すべてが時と共に消え去って行く、それがすべてで或る気がした。
幻想と幻影に縛られた、海を渡る潮風が嘘をついた。頬をあたる潮風に、たまらない心地よさを感じる、その潮風さえも、嘘をついた。それだけなのだと男は空を見つめた。
次に、きっと潮風が海を渡って来て嘘をつく時、今は、今よりきっと手の届かないような遠い過去になっている、と彼は呟いた。

海のあるその街は、春の匂いを含んだ潮風の中で、ただひたすら、きらきらしていた。それだけが、本当の真実のように、海のある街の人達にその光を降り注いだ。
やっと、離れていた空間が、時間と引き合って、また、同じように存在し、時を刻み始めた。
世界には、光の美しさだけがあって、本当は、時間と空間は存在せず、時間と空間を存在しているように見せかけている。だから、彼に、風が嘘をついたのかも知れなかった。
風が嘘をつくと、きっと、満ち足りなくなる。彼は、初めてそう感じた。

2014年12月13日 東京

風がついた嘘

手のひら一杯に集めた色とりどりの宝石を、光の中に投げ入れ、ちりばめられた一瞬を止めている。
海を望むその街は、その光の輝きの一瞬だけを切り取ったような、写真のような現実の中で、春の日差しに包まれていた。写真に写した一瞬の光景が、また、映された一瞬の中に還元して行く、そんな時間だった。
瞬きする事さえ、惜しまれるような光の美しさの中で、まぶたを閉じる、それでも、閉じたまぶたの隙間からでさえ、その美しさは、忍び込み、その美しさを感じさせた。
その年の春は、光りと共に現れ、そして、少しだけ美しいその姿を見せていた。しかし、その繊細の中には、やがて、去りゆくという儚い運命があった。美しさの相反には、儚さが付き纏う。東洋の美学の本質の中に、その光景は存在していた。
去りゆく運命が、近づいて来ている切なさに映される一瞬。
その訪れこそ、一番美しい瞬間であり、その瞬間が、海のある街を包んでいた。
海から、聞こえてくる波の音は、春の光の陽気さに包まれていた。
波と共に刻み込まれる音韻は、ただ、優しく、どこまでも、平和でいて、柔らかい音だけを奏でていた。
潮風は、海の浪間と空間との間を行き交い、時間は、その中で、逃げ場を失ったようにあいまいで、ぼやけていた。だから、時間はあくまでも、感覚であり続けた。そんな印象さえ与えていた。
やがて、その美しい空間は、時間と相克を繰り広げ始めた。時間が、空間の中に溶け込み、自分の存在が消滅してしまうと感じたかも知れなかった。それでも、空間は、時間を刻ませたくないと存在を鮮明化させた。空間と一体化しようとする時間が主張し、両者が誇示するように主張している空間と空間が生み出されていた。そしてその両者の中に、光りがあって、海があって、街が構築されていた。
ひとしきり時間と空間が争った後、空間から離れさせられた時間は、自らの存在意義を失ったかのように、時間を止めようとしている、そういう瞬間であり、“空間”が新たに生まれていた。写真の中の一瞬の還元は、まさにそこから、再び時間と空間に戻ろうとする出来事の中にあった。

春の日の日曜日の午後。

彼女と、彼は、いつものように喧嘩をした。二人の喧嘩は、まるで、朝起きて、顔洗って、歯を磨いて、というような毎日の日課のようだった。喧嘩をして、二人の気持ちを確かめあう、そんな愛の形があった。
けれど、いつもと形容される喧嘩は、その日の午後、いつもの喧嘩とは違っていた。
久しぶりにあったのに、一時間も経たずに、2人は何も言わずに別れた。その日、彼の心は、感情が心の中に映されない位、渇いていたから、今までのように自分から切り出して、やり直そうとは思わなかった。
付き合いだして、毎日のように愛していると言っていた頃も、時間が経てば、その感情も二人の間で薄れていった。二人の間で、愛と言う感情は深まることはなかった。
彼の本当の感情と異なる感情を映し出した言葉は、やがて、彼の心の中に別の感情を生み出した。その別の感情が、強く意識できるほど、心の中で形になった。
「愛している」
と彼女の耳元で言った後で、彼は、彼の心の中で、嘘つきと言って、自分を笑い続けるようになった。何言っているのだろう、俺は、と思った。やがて、彼から愛と思っていた感情が、なくなった。
彼に、愛があった頃は、
「愛している」
と彼が言うと、
彼女は、喜んだ表情を見せた。彼女がその時、一瞬見せる、目の中の恍惚に、彼は、幸せを感じることがあった。彼は、これが幸せなのだと感じることがあった。
けれど、その感情も、彼からは、次第に消えた。消え去りかかる時、幸せという感情さえ、偽りの上に構築された影であるかのように感じた。けれど、彼は悲しくなかった。それよりも、真実を知ったことへの喜びの方が、大きかった。
彼は、
「愛している」
と言って、彼女を喜ばせているだけだと、気付き始めた。彼女を喜ばせることが、自分の幸福でないと知り始めた瞬間、彼の心境は変貌した。愛とか幸せは、本当に存在するのだろうかと。
彼女という、女性の性を持つ存在は、男という性を持つ存在の感情には、直感的にそして、時に過敏なまでに反応した。
彼の感情的な消失が深まり、気持ちのない言葉が続く度に、2人は、色々な場面ですれ違った。愛していると言われることが、彼女には苦痛になった。
彼女は、
「愛している。」
と言われるたびに、その言葉に対して、さらに、さらに懐疑的になっていった。
「本当に、愛してくれているの。」
彼女は、愛していると言った彼の表情を見つめながら、心の中で、彼に問いかけた。
その問いかけが始まった途端に、彼女から、恍惚の表情は消え去って行った。鬱陶しいとさえ思い始めた。

彼には最初から愛はなかった。ただ、愛を求めていただけだった。あるいは、見返りのある男と女しか、求めていなかった。だから、愛の姿が異なると、愛を求める気持ちが変わって行き、やがて、愛を求める気持ちが、なくなると、愛しているという言葉も意味を失った。あるいは、彼にとっては、「愛している」という表現は、唯物主義の合間の一つのツールにすぎなかった。
彼にとって、愛は、孤独からの回避だけの為にあるような気がしていた。それは、愛が必要なのは、ただ、自分を孤独から救ってもらえるから、そのために、ツールが必要なだけだった。
愛によって自分の孤独が救われないと分かると、彼の中から、彼にとっての愛という観念は、消えていった、そのツールは使えないツールだと分かったからだった。彼は、本当の愛を知らない、と誰が言えるのだろうか。観念的なその存在が、もしかしたら、人の幻想で、想像された対象だけであるのに。幸せがあるという人達と彼を比べ、彼を不幸と言えるのだろうか。もし、彼が不幸になるのであるなら、真実の愛が、本当に存在し、普遍的である必要があった。普遍的で、真実であるという愛は、本当に存在するのだろうか。
唯物論が人を狂わせたのではなく、唯物の上に、愛という別の真実を構築しようとしているだけなのではないか。男と女の存在の上に経済原則が生じた時点で、愛の存在は、消えてゆく。消えてしまった存在そのものが、彼にとっては愛だった。
海のある街の至る所、高層ビルの立ち並ぶ、荒涼としたコンクリートの砂漠。彼は、その場所、場所で思い出として残る空間で、過去の二人を思い返してみても、ただ、ひたすら時間の経過だけを感じただけだった。すべて無駄な時間が残っている気がした。
夢の話も、日々の話もすべてが、深い霧に包まれて、過去に起こった一事象になっていた。真実とは、唯物的な自分がただあるだけを知っただけであった。

海のある街で、彼は、彼女が別の男と歩いているのを見た。彼女が、楽しそうで、幸せそうに見えた。彼に見せた、「愛している」と言った時に見せていた恍惚の表情が、実は作り物であった気がした。虚偽と虚無の狭間に存在しているのだと思った。
彼女の姿を見た時、彼の心の中には、感情性が浮かばなかった。どこかに欠如があって、喪失さえもがあった。ただ、その喪失性は、別れた事に後悔という感情も生まなかった。
無機質な観念で、内実も捨て去られた、「愛している」というセリフだけが、心に残っていたる気がした。愛がないから、真実に戻ったと納得させた。ただ、それなのにまた、愛を求めようとするのが不思議だった。愛は、本能なのだろうか。
彼は、次第に自分の視界から遠ざかって行く二人を見つめながら、心の中で、過去の感情を探した。本当は愛していなかったと思い、ふと、空を見上げた。広大なまでの青い空が広がっていた。無機質で、すべてを吸収していきながら、何も反応がない、ただ、ひたすら青い色を湛えていた。その光景に、彼は、本当の自分に似ている気がした。
自分は、まるで、死ぬまでの時間をただ、生まれてきたから生きている。そこには、何の意味さえ持たない気がした。
愛は、彼にとって、存在しない気がした途端、愛の存在が、心から消え去った。それは、今まで映されていた光景が、瞬く間に消え去って行くような感じだった。消え去って行く残像に、後悔だとか、悔いと言う言葉も存在しなかった。
心の中から、愛と思っていた感情がことごとく消えたとたんに、死の存在が彼の心の中に映された。
自分は、死ぬ前に、涙を流すだろうか、生きて来てよかったと思うだろうか。
あるいは、死を宣告されたら、幸せだから、死にたくない、もっと、生きたいと思うだろうか。そのような感情を持つこと、それを不幸と言うなら、彼は不幸だと思った。けれど、自分は、本当に不幸なのだろうかと彼は思った。「愛している」と偽って生きる方が、不幸ではないか。彼はそう自分に言った。
もしかしたら、「これから、すぐに死にます」と宣告された時に、死に対して、死ねることに対して、本当の幸せを感じるのではないかだろうか。「愛している」と言うよりも、言われるよりも、幸せなのでないだろうか。存在の消滅に、幸せを求めていけないのだろうか。
死んでよかったね、生きる苦しみから解放されて良かったねという死人をねぎらう言葉が、潮風のある街がある東洋の地には存在する。彼は、その本当の意味を今、やっと彼は分かるようになれた気がした。

遠くに広がる青い空から目を離した。目の前には、現実の世界が、遠く繋がっていた。二人の歩き去った方向に視線を移した。
ついこの前まで、「愛している」と言っていた、その人が別の男と腕を組んであるいている現実。きっと、「愛している」と言っていた最中なら、嫉妬をしていただろうと感じた。
けれど、彼の心の中には、恋とか愛の苦しみはなかった。
生きるために、楽しそうなふりをして、明日を生き延びるために、愛していそうなふりをしている。それは、孤独から逃れたいから。孤独から救われるために、男と女の存在自体があるとしか、彼には思えなかった。ふと、そう思ったことで、彼の心の中に僅かな、不安が姿を現した。彼女の顔を思い浮かべた。「愛している」と言った時に嬉しそうな表情をした彼女そのものを思い浮かべた。
「今でも、愛しているか。」
「過去に、愛していたか。」
「本当に、愛していたか。」
彼は、心の中でつぶやいた。
きっと、過去のすべて嘘だったと、心の中で打ち消した。
きっと、風が嘘をついたからだ。だから、瞬く間に過ぎ去った、と男は言い訳をした。
いつも、いつまでもただそれだけなのだと、彼は、目を閉じた。
そして、風がある限り、同じ事が続くと、付け足した。
やがて人生もまた、風のように過ぎ去っていくのだと信じた。
そこには、何も残らない、すべてが時と共に消え去って行く、それがすべてで或る気がした。
幻想と幻影に縛られた、海を渡る潮風が嘘をついた。頬をあたる潮風に、たまらない心地よさを感じる、その潮風さえも、嘘をついた。それだけなのだと男は空を見つめた。
次に、きっと潮風が海を渡って来て嘘をつく時、今は、今よりきっと手の届かないような遠い過去になっている、と彼は呟いた。

海のあるその街は、春の匂いを含んだ潮風の中で、ただひたすら、きらきらしていた。それだけが、本当の真実のように、海のある街の人達にその光を降り注いだ。
やっと、離れていた空間が、時間と引き合って、また、同じように存在し、時を刻み始めた。
世界には、光の美しさだけがあって、本当は、時間と空間は存在せず、時間と空間を存在しているように見せかけている。だから、彼に、風が嘘をついたのかも知れなかった。
風が嘘をつくと、きっと、満ち足りなくなる。彼は、初めてそう感じた。

2014年12月13日 東京

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