長崎

長崎

あの晩、最終の特急で長崎に着いた。思いのほか、寒い冬の日だった。しんとした空気の中に、華やかさがあった。長崎は、綺麗な光に包まれていた夜だった。
次の日、原爆が落とされた中心地を訪れた。生まれて初めて、日本に落とされた原爆に触れた。
感覚的な問題であったのだろうが、そこだけ、時間が捻じ曲げられて、空間も違う空間に変えられてしまっている気がした。
悲惨という形容が浮き上がっている気がした。そして、悲惨さがあまりにも純粋に昇華されて、心の中を巡った。
あの時、あの場所で、深く考えさせられた。善とか悪とかではなく、存在そのものを考えた。二度と起こしては、なんて当たり前の事は考えなかった。
また、再び起きるかもしれない不安定さに、存在の危うさを感じた。人の存在そのものにさえ至らない位に、存在そのものが軽微になった気がした。
原爆は、存在の価値観さえも変えてしまったのだと痛感した。
もちろん、過去は、過去でなければ未来はない、けれど、過去に立ち止まることに存在がある事を長崎は教えてくれた。

長崎

あの晩、最終の特急で長崎に着いた。思いのほか、寒い冬の日だった。しんとした空気の中に、華やかさがあった。長崎は、綺麗な光に包まれていた夜だった。
次の日、原爆が落とされた中心地を訪れた。生まれて初めて、日本に落とされた原爆に触れた。
感覚的な問題であったのだろうが、そこだけ、時間が捻じ曲げられて、空間も違う空間に変えられてしまっている気がした。
悲惨という形容が浮き上がっている気がした。そして、悲惨さがあまりにも純粋に昇華されて、心の中を巡った。
あの時、あの場所で、深く考えさせられた。善とか悪とかではなく、存在そのものを考えた。二度と起こしては、なんて当たり前の事は考えなかった。
また、再び起きるかもしれない不安定さに、存在の危うさを感じた。人の存在そのものにさえ至らない位に、存在そのものが軽微になった気がした。
原爆は、存在の価値観さえも変えてしまったのだと痛感した。
もちろん、過去は、過去でなければ未来はない、けれど、過去に立ち止まることに存在がある事を長崎は教えてくれた。

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