花輪線

花輪線

 文学は、想像の世界だ。
バルセロナ大学スペイン文学部で、私は骨の髄まで叩きこまれた。

 大館駅から、出発した頃には日が暮れ、雪は容赦なく降り続けていた。
学生や、帰省客、想像していたより人は乗っていた。
出発してから、ずっと車内では女子学生の声が響き続けていた。その列車が地域の人々の生活に重要な役割を担っている証だった。
大館駅を遠ざかり、暗闇を色濃くする中で、乗客はだんだん少なくなっていった。
十和田南駅ではスイッチバックをして、進行方向が変わった。しかし、乗客は誰も席を変えて進行方向には向かなった。私は、どうしてだろうと不思議な心境でボックスシートの反対側に移った。
その車両で向きを変えたのは私だけだった。
しかし、何故進行方向に他の乗客が変えなかった理由は、すぐに分かった。
二両目に乗っていた乗客のほとんどが、次の鹿角花輪駅で降りたからだった。
乗客が降りたドアの向こう側、車内の光に照らされ、雪は輝き、そしてなおも降り続いていることを伝えていた。車内が突然シーンとした。静謐さえあるような静寂を感じながら、金属音が規則正しく車内に響いた。

 そこから花輪線は舞台の幕を上げた。
大雪の日、その空間、その時間、これ以上ない条件は揃えられていた。
この作品を見る為に、わざわざここまで来たのだと自分に言い聞かせた。
至福の時間だった。
時折、人が乗って来ては雪を振り落とすためにこんこんと靴を立てた。雪国の生活の音だった。
乗ってきたいずれの乗客も長居はせず、一駅か、二駅多くて三駅、すぐに雪の中に消えて行った。
出発する度、車掌は車内を回った。雪国の日常が、その時間の為に特別に演じられている気がしてならなかった。
どこかの駅で、二人の乗客が降りて、その代わりに薄手のコートを着た若者が乗り込んできて、すぐにロングシートに寝転んだ。酒に酔っているのだろうとその姿を目にしながら、酒の味も分からなかった自分の若い頃を思い出した。目が回って頭の中で世界が回り続けたあの頃、人生なんてくそくらえと思っていた、あの異国での時間を。
車窓から辛うじて見える、深まりゆく真っ白な世界で、どうして東北地方で妖怪の話が沢山生まれるのが、分かる気がした。文学は想像の世界だ、けれど、背景が文学を生む。花輪線はまるで、文学の講義をしているようだった。
単線の列車がすれ違いの為に、荒屋新町駅に停車した。大雪の為に遅延しているので、対向列車が来るまでしばらく停車すると車内では案内があった。
私は、写真を撮ろうと外に出た、寝続ける若者を気遣って寒い空気が入らないように、手動式のドアをすぐに閉じた。列車の空間と外が分かれて、別々になった。音が変わった。
雪が降りしきる荒屋新町駅のホームは一面真っ白だった。キュッキュッと一歩一歩踏みしめる度に、小説の一字一字を読み込んでいく感覚に似ていると思った。
その時、白くぼんやりと光る向こう側から、得たいのしれない女の人の金切り声が聞こえて来た気がした。あれが、雪女の声なのかと、ホームで立ちすくみ闇の向こうを見つめた。妖怪は本当はいると信じられるような空間が広がっていた。
 金切り声がしたのは、たった一度だけだった。
やがて向こうから、対向の列車が来て、我に返った。その時には、私は舞台を見つめる観客ではなく、花輪線の舞台を演じるうちの一人になってしまっていた。席に戻った。対向の列車がすれ違った。一両目、二両目に、パラパラと人が乗っていた。
現実か、嘘か、白い世界で感覚が狂ってしまった自分がいる事を認めた。
恐怖感ではない、不思議な心境のままだった。次に停車した駅で、運転手が二両目にやって来て、色々と車内を点検し始めた。そしてそこに車掌が加わり、二人で車両の中を点検し始めた。すぐ後で二人は何かを相談した。
相談し終わってから、車掌が私の席の前に立った。
「大変申し訳ございません。この車両の暖房が壊れておりまして、一両目の方は暖かいからそちらの方に移って頂けませんか。」
と恐縮そうに伝えてきた。
「分かりました。道理で寒いんですね。すぐに移ります。」
そう告げると、車掌は、
「大変、申し訳ございません。」
と再び丁寧に謝罪した。
「大丈夫です。ありがとう。」
と私は笑い返した。
車掌は、寝たままの若者にも、
「すみません。」
と声を掛けていたが、若者は微動だにしなかった。
荷物を網棚から下ろし、席を移り変わった。
車掌が最後まで恐縮そうだった。移る時には丁寧に会釈までしていた。
東京だったら、苦情だらけになって謝罪で忙しくなるだろうな想像した。けれど、花輪線の二両目の乗客は、私と、薄着の若者だけ、しかも、若者はロングシートで眠ったまま。移動を頼まれた私は、東京から来て、雪国の列車は寒いのだなと思っていた位で、気にする事もなく、謝罪された私の方が恐縮した感情になった。
私自身、より心地良い環境でこの列車に乗りたいのではないから、気にもならなかった。
花輪線の舞台を見るのに、暖房なんて必須条件にはない、そういう事を求めているのではないという事だけは確かだった。
一両目に乗り移ると、信じられない位暖かかった。こんなにも違うのかとさえ思うほどだった。
しばらくすると、若者も同じ車両に移って来たが、またすぐに横になって寝始めた。
その若者も私と同様、寒さは気になっていない気がした。
何も疑問を感じず、あんなに寒い空間に居れたなんて、きっと雪女のせいだと思い込んだ。暖房を壊したのは、あの金切り声の正体せいだと確信した。
そして雪女がいたと思い込むようになった時には、終着の盛岡に近づいていた。IGRいわて銀河鉄道に変わった後、若者がすくっと立ち上がり降りて行った。酔っていたのかと疑問を感じる位に、確かな足取りだった。花輪線の走るところに、雪女がいる。と感情を噛みしめると、すでに花輪線の舞台も幕を閉じていた。

雪女の存在が、科学的に証明されました、もしかしたらそういう日が来るかもしれない。
荒屋新町駅で、私が突然車掌に
「雪女に会いに行くので、ここで降ります。」
なんて真面目な顔で切符を見せたら、きっと大笑いしながら、
「雪女なんていないし、こんな雪の中、やめておいたほうがいいです。」
と言われるだろう。けれど目の中に一筋の真実が隠しきれていなかったら、私は、やはり存在すると確信して、大雪の中、会いに行っただろう。
科学的に雪女は存在するという証明がされた時こそ、文学の終焉の時だ。
雪深い中を行く花輪線で、文学講義の時間を共有した。
あの頃の情熱のままで。

2022年1月10日 東京

花輪線

 文学は、想像の世界だ。
バルセロナ大学スペイン文学部で、私は骨の髄まで叩きこまれた。

 大館駅から、出発した頃には日が暮れ、雪は容赦なく降り続けていた。
学生や、帰省客、想像していたより人は乗っていた。
出発してから、ずっと車内では女子学生の声が響き続けていた。その列車が地域の人々の生活に重要な役割を担っている証だった。
大館駅を遠ざかり、暗闇を色濃くする中で、乗客はだんだん少なくなっていった。
十和田南駅ではスイッチバックをして、進行方向が変わった。しかし、乗客は誰も席を変えて進行方向には向かなった。私は、どうしてだろうと不思議な心境でボックスシートの反対側に移った。
その車両で向きを変えたのは私だけだった。
しかし、何故進行方向に他の乗客が変えなかった理由は、すぐに分かった。
二両目に乗っていた乗客のほとんどが、次の鹿角花輪駅で降りたからだった。
乗客が降りたドアの向こう側、車内の光に照らされ、雪は輝き、そしてなおも降り続いていることを伝えていた。車内が突然シーンとした。静謐さえあるような静寂を感じながら、金属音が規則正しく車内に響いた。

 そこから花輪線は舞台の幕を上げた。
大雪の日、その空間、その時間、これ以上ない条件は揃えられていた。
この作品を見る為に、わざわざここまで来たのだと自分に言い聞かせた。
至福の時間だった。
時折、人が乗って来ては雪を振り落とすためにこんこんと靴を立てた。雪国の生活の音だった。
乗ってきたいずれの乗客も長居はせず、一駅か、二駅多くて三駅、すぐに雪の中に消えて行った。
出発する度、車掌は車内を回った。雪国の日常が、その時間の為に特別に演じられている気がしてならなかった。
どこかの駅で、二人の乗客が降りて、その代わりに薄手のコートを着た若者が乗り込んできて、すぐにロングシートに寝転んだ。酒に酔っているのだろうとその姿を目にしながら、酒の味も分からなかった自分の若い頃を思い出した。目が回って頭の中で世界が回り続けたあの頃、人生なんてくそくらえと思っていた、あの異国での時間を。
車窓から辛うじて見える、深まりゆく真っ白な世界で、どうして東北地方で妖怪の話が沢山生まれるのが、分かる気がした。文学は想像の世界だ、けれど、背景が文学を生む。花輪線はまるで、文学の講義をしているようだった。
単線の列車がすれ違いの為に、荒屋新町駅に停車した。大雪の為に遅延しているので、対向列車が来るまでしばらく停車すると車内では案内があった。
私は、写真を撮ろうと外に出た、寝続ける若者を気遣って寒い空気が入らないように、手動式のドアをすぐに閉じた。列車の空間と外が分かれて、別々になった。音が変わった。
雪が降りしきる荒屋新町駅のホームは一面真っ白だった。キュッキュッと一歩一歩踏みしめる度に、小説の一字一字を読み込んでいく感覚に似ていると思った。
その時、白くぼんやりと光る向こう側から、得たいのしれない女の人の金切り声が聞こえて来た気がした。あれが、雪女の声なのかと、ホームで立ちすくみ闇の向こうを見つめた。妖怪は本当はいると信じられるような空間が広がっていた。
 金切り声がしたのは、たった一度だけだった。
やがて向こうから、対向の列車が来て、我に返った。その時には、私は舞台を見つめる観客ではなく、花輪線の舞台を演じるうちの一人になってしまっていた。席に戻った。対向の列車がすれ違った。一両目、二両目に、パラパラと人が乗っていた。
現実か、嘘か、白い世界で感覚が狂ってしまった自分がいる事を認めた。
恐怖感ではない、不思議な心境のままだった。次に停車した駅で、運転手が二両目にやって来て、色々と車内を点検し始めた。そしてそこに車掌が加わり、二人で車両の中を点検し始めた。すぐ後で二人は何かを相談した。
相談し終わってから、車掌が私の席の前に立った。
「大変申し訳ございません。この車両の暖房が壊れておりまして、一両目の方は暖かいからそちらの方に移って頂けませんか。」
と恐縮そうに伝えてきた。
「分かりました。道理で寒いんですね。すぐに移ります。」
そう告げると、車掌は、
「大変、申し訳ございません。」
と再び丁寧に謝罪した。
「大丈夫です。ありがとう。」
と私は笑い返した。
車掌は、寝たままの若者にも、
「すみません。」
と声を掛けていたが、若者は微動だにしなかった。
荷物を網棚から下ろし、席を移り変わった。
車掌が最後まで恐縮そうだった。移る時には丁寧に会釈までしていた。
東京だったら、苦情だらけになって謝罪で忙しくなるだろうな想像した。けれど、花輪線の二両目の乗客は、私と、薄着の若者だけ、しかも、若者はロングシートで眠ったまま。移動を頼まれた私は、東京から来て、雪国の列車は寒いのだなと思っていた位で、気にする事もなく、謝罪された私の方が恐縮した感情になった。
私自身、より心地良い環境でこの列車に乗りたいのではないから、気にもならなかった。
花輪線の舞台を見るのに、暖房なんて必須条件にはない、そういう事を求めているのではないという事だけは確かだった。
一両目に乗り移ると、信じられない位暖かかった。こんなにも違うのかとさえ思うほどだった。
しばらくすると、若者も同じ車両に移って来たが、またすぐに横になって寝始めた。
その若者も私と同様、寒さは気になっていない気がした。
何も疑問を感じず、あんなに寒い空間に居れたなんて、きっと雪女のせいだと思い込んだ。暖房を壊したのは、あの金切り声の正体せいだと確信した。
そして雪女がいたと思い込むようになった時には、終着の盛岡に近づいていた。IGRいわて銀河鉄道に変わった後、若者がすくっと立ち上がり降りて行った。酔っていたのかと疑問を感じる位に、確かな足取りだった。花輪線の走るところに、雪女がいる。と感情を噛みしめると、すでに花輪線の舞台も幕を閉じていた。

雪女の存在が、科学的に証明されました、もしかしたらそういう日が来るかもしれない。
荒屋新町駅で、私が突然車掌に
「雪女に会いに行くので、ここで降ります。」
なんて真面目な顔で切符を見せたら、きっと大笑いしながら、
「雪女なんていないし、こんな雪の中、やめておいたほうがいいです。」
と言われるだろう。けれど目の中に一筋の真実が隠しきれていなかったら、私は、やはり存在すると確信して、大雪の中、会いに行っただろう。
科学的に雪女は存在するという証明がされた時こそ、文学の終焉の時だ。
雪深い中を行く花輪線で、文学講義の時間を共有した。
あの頃の情熱のままで。

2022年1月10日 東京

前の記事

五能線

次の記事

小さな漁村