波が、柔らかさを保ちながら、静かで軽やかにうねりを見せていた。
その姿は、海のどの場所からも同じだった。
風は、心の中に心地よさを残すかのように、吹いて行った。
その行方なんて誰も知らなかったし、誰も知る必要もなかった。
夏の終わり、透き通った光が包む午後。
海。
浜辺に人はいなかった。浜辺の訪問者は、数羽のカモメだけだった。
風に羽を揺らしていた。風が、大空へと誘っているみたいだった。
カモメ達は、吹き抜けてくる潮風の方に顔を向けていた。白い羽毛がけなげに揺れ続けていた。
夏の終わりの日差しは、どことなく、悲しげな、斜陽を漂わせ始めた。
私は、浜辺の波打ち際を歩いた。浜辺で唯一の訪問者に近づくと、白い訪問者は、さっと羽を広げて、海の方へと飛び立った。風に向け羽の角度を調整する様に、光りがあたり、翼が美しく輝いていた。海の上の大空を自由に飛べることが、どんなことなのか、自在に羽の角度を変えて舞う姿に、思いを寄せた。
いつまでも、終わりがないような時間だった。幼いころ見た、景色と全く変わらない、光景があった。あの時、その光景はもっと心苦しく、もっと切なげに大空を舞う鳥の行方を追った。あの時は、風の行方なんて心にも気にとめなかった。
今だって、風がどこからこようとも関係ない、けれど、鳥を連れ去った風に、風がどこに行くのが気になった。
潮風が、時の狭間で、その姿をときめかせる時、時間が自由という名のもとで、輝きを生み出していた、それは、光の輝きとは明らかに異なった。
光と共に輝き続ける海の風、一体どのようにして、その輝きを手に入れたのか、ただ、ただ、知りたかった、それは、幼い頃の光景の時も一緒だった。
海の風の輝き、そこには、嫉妬という感情さえ埋め込まれていた。その輝きなど、手に入れられるはずもないのに、ただ、輝きに嫉妬し、手に入れられないような不可能に失望した。唯一の望みは、その失望に、悲しさがなかったことだった。不可能を可能にすることなんて、誰にも出来ないことは分かっていたからだった。
海は、真夜中でも、光のない世界でも輝き続ける。
波と一緒に。
風と一緒に。
闇と一緒に。
光が海になくても、海は輝き続けていられる。それを知ったときは、失望が絶望に変わった。あの輝きを自分のものにしようなんて、もっと考えなくなった。その輝きを手にしたいと思うこと自体が、悪いこととさえ感じられた。
手に入れられないなら、せめてもその輝きだけでも見ていたい、そう願った。そしてその切望は、年を追うごとにますます強くなった。
光のない中で輝く海、その輝きに切望と絶望が海で交差した。
男と女の感情が交差する瞬間、それにも似ていた。
一瞬の感情がすれ違って、お互いの感情を意識する、そういう時が訪れる。
男と女を意識する瞬間。
擦れ違いがお互いの感情を確かめ、そして愛に移り変わる時がある。
その愛が重なって、海の中に溶け込んだ時、大空の鳥の自由さえも奪っていく気がした。
波が、幾重にも重なって、止まることなく打ち寄せる。美しさの中で、美そのものに心酔することが、唯一の救いだと知った。
儚いなんて、思わない、波が終わることなく、打ち寄せ、風は、行方さえ伝えることなく舞い込み続けてさえいれば、それだけでいいと思った。
輝きさえもいらない気がした。
その時、光のない海の上を白い渡り鳥が、遠くに向かって飛んで行った。
本当は、自由なんてない気がした。
自由なんてないから、光がなくても輝いている、そう信じた。
実は、海にも自由なんてなくて、それを超えている輝きがあるだけのではないかと考えた。
それでも、潮風の行方が気になり、鳥が遠い海の向こう、どこに向かうのか。例え自由なんてなくても、知りたいと思った。
海が輝いているのは、潮風が美しく吹き抜け、そして、大空に鳥が舞っているから、ただ、それだけで輝いているのだと。
悲しみなんて海には映らない。
砕ける波の音は、心地良い音楽を奏でていられるから。
誰一人、その音に心寄せることもなく、波はただ、心地良い音楽を続けていた。
観客の必要ない音楽は、ずっとずっと続いた。
私さえ、聞かなくてもいいと言われている気がした。
けれど、私はその美しさからは、離れられなかった。

2019年9月7日 東京

波が、柔らかさを保ちながら、静かで軽やかにうねりを見せていた。
その姿は、海のどの場所からも同じだった。
風は、心の中に心地よさを残すかのように、吹いて行った。
その行方なんて誰も知らなかったし、誰も知る必要もなかった。
夏の終わり、透き通った光が包む午後。
海。
浜辺に人はいなかった。浜辺の訪問者は、数羽のカモメだけだった。
風に羽を揺らしていた。風が、大空へと誘っているみたいだった。
カモメ達は、吹き抜けてくる潮風の方に顔を向けていた。白い羽毛がけなげに揺れ続けていた。
夏の終わりの日差しは、どことなく、悲しげな、斜陽を漂わせ始めた。
私は、浜辺の波打ち際を歩いた。浜辺で唯一の訪問者に近づくと、白い訪問者は、さっと羽を広げて、海の方へと飛び立った。風に向け羽の角度を調整する様に、光りがあたり、翼が美しく輝いていた。海の上の大空を自由に飛べることが、どんなことなのか、自在に羽の角度を変えて舞う姿に、思いを寄せた。
いつまでも、終わりがないような時間だった。幼いころ見た、景色と全く変わらない、光景があった。あの時、その光景はもっと心苦しく、もっと切なげに大空を舞う鳥の行方を追った。あの時は、風の行方なんて心にも気にとめなかった。
今だって、風がどこからこようとも関係ない、けれど、鳥を連れ去った風に、風がどこに行くのが気になった。
潮風が、時の狭間で、その姿をときめかせる時、時間が自由という名のもとで、輝きを生み出していた、それは、光の輝きとは明らかに異なった。
光と共に輝き続ける海の風、一体どのようにして、その輝きを手に入れたのか、ただ、ただ、知りたかった、それは、幼い頃の光景の時も一緒だった。
海の風の輝き、そこには、嫉妬という感情さえ埋め込まれていた。その輝きなど、手に入れられるはずもないのに、ただ、輝きに嫉妬し、手に入れられないような不可能に失望した。唯一の望みは、その失望に、悲しさがなかったことだった。不可能を可能にすることなんて、誰にも出来ないことは分かっていたからだった。
海は、真夜中でも、光のない世界でも輝き続ける。
波と一緒に。
風と一緒に。
闇と一緒に。
光が海になくても、海は輝き続けていられる。それを知ったときは、失望が絶望に変わった。あの輝きを自分のものにしようなんて、もっと考えなくなった。その輝きを手にしたいと思うこと自体が、悪いこととさえ感じられた。
手に入れられないなら、せめてもその輝きだけでも見ていたい、そう願った。そしてその切望は、年を追うごとにますます強くなった。
光のない中で輝く海、その輝きに切望と絶望が海で交差した。
男と女の感情が交差する瞬間、それにも似ていた。
一瞬の感情がすれ違って、お互いの感情を意識する、そういう時が訪れる。
男と女を意識する瞬間。
擦れ違いがお互いの感情を確かめ、そして愛に移り変わる時がある。
その愛が重なって、海の中に溶け込んだ時、大空の鳥の自由さえも奪っていく気がした。
波が、幾重にも重なって、止まることなく打ち寄せる。美しさの中で、美そのものに心酔することが、唯一の救いだと知った。
儚いなんて、思わない、波が終わることなく、打ち寄せ、風は、行方さえ伝えることなく舞い込み続けてさえいれば、それだけでいいと思った。
輝きさえもいらない気がした。
その時、光のない海の上を白い渡り鳥が、遠くに向かって飛んで行った。
本当は、自由なんてない気がした。
自由なんてないから、光がなくても輝いている、そう信じた。
実は、海にも自由なんてなくて、それを超えている輝きがあるだけのではないかと考えた。
それでも、潮風の行方が気になり、鳥が遠い海の向こう、どこに向かうのか。例え自由なんてなくても、知りたいと思った。
海が輝いているのは、潮風が美しく吹き抜け、そして、大空に鳥が舞っているから、ただ、それだけで輝いているのだと。
悲しみなんて海には映らない。
砕ける波の音は、心地良い音楽を奏でていられるから。
誰一人、その音に心寄せることもなく、波はただ、心地良い音楽を続けていた。
観客の必要ない音楽は、ずっとずっと続いた。
私さえ、聞かなくてもいいと言われている気がした。
けれど、私はその美しさからは、離れられなかった。

2019年9月7日 東京

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