沈黙の向こう側

沈黙の向こう側

「知っていたのよ、すべてをね。」
切り出しは、すこし、感情の高ぶりを含んでいた。
「ずっと前からよ」
時間的経過を加えられた時、
またかと、彼女の夫は思った。
「何が。」
彼は、とぼけたが、彼の妻の追求は止まらなかった。
「嘘はつかないでね。」
彼女に微笑みが戻ったが、彼のひきつったような表情を見た途端、彼女の微笑みは、すぐに消えた。
夫婦の間に沈黙が生まれた。
「知っているからね。」
そう、彼女が切り出した。
具体的な事を何も言わない彼女にしびれを切らしたように、彼が、
「だから、何がさ。」
と問い返した。また、浮気しているとでも言いたいのだろうと思わせられた。
彼の妻は、仕事の接待で、頻繁に使うクラブの領収書に、疑いをかけていた。
久しぶりに景気が回復してきて、大きな受注が取れそうだから、お客を良いクラブで接待しているのが、よほど、嫌なのだと彼は思った。日本人のサラリーマンの妻になった、日本の女性だから、それは、宿命的な義務付けだと、目を瞑る暗黙で、日本的な規範の中に生きなければならない、夫婦の関係があった。
営業をするサラリーマンにおける日本の社会的なシステムが、その中にあるのだから、妻はどこかで犠牲にならなければ、生きていけない世界であった。彼の妻は、接待しているという事に、不満があったのではなく、接待を通じて、彼女の夫が浮気をしているのではないか、というのが不安で、不満で、憤りだった。会社の為、仕事の為、そのすべての中で、男と女が生きている社会、それが、日本的な社会であった。男はだからその構築されている社会システムを利用し、自分の欲望を満たそうとした。自分は会社の犠牲になっているから、会社の為に利益を上げることで、その代償をもらっている、領収書を切ることは、会社への契約書みたいなものだった。会社の延長上に妻とは別の女たちがいたとしても、それは、自己犠牲を自分自身に唯一正当化可能な代償があるから、犠牲になれるようであった。けれど、その自己犠牲が、男と女の感情性を伴わなければ、妻と言う存在は、その犠牲的な領域に踏み込むことはなかった。日本の女は、男の犠牲であり、それは夫に食べさせてもらっているという、関係性があるから成り立ちえる、夫婦関係であった。幸せとは、夫の聖域に決して入ることなく、夫を出世させること。そこに尽きた。そこには、モラルとか、愛とかではなく、犠牲的な存在への引換として成立するシステムだけが横たわっていた。
武士道的自己犠牲の精神と、西洋的資本主義がもたらした、社会システム、犠牲者が、絶対的な犠牲者にはならず、犠牲の代替えを要求する事で、関係をWin Winに保とうとする世界だった。
また、妻にとっては、夫からの貨幣が、自己犠牲への慰謝料であるかのようになっていた。食べるために、生きるために、だから、幸せも、何かの代償の結果手に入れることになっていた。あるいは、代償の結果が幸せという存在であるかもしれなかった。
それならば、幸せになる事はたやすい。何かの代償の為に、自己犠牲者になればいいのだから。論理的矛盾などに目を向けることなく、犠牲者であれば、世間はその人に目を向けそして、生きるべき賞賛さえ与える。この国の生き様は、男も女も似ている。犠牲者だから、被害者なのだから、という言い訳のもとですべてが寛容で許される社会であった。
日本企業という会社の犠牲者と、夫の犠牲者、二人の犠牲者が、互いに自分は被害者だと主張し合う家庭の中で、被害者同士が争いを始めていた。
「誰か、いるの。」
決心を固めたように、彼の妻が聞いた。彼は、故意に驚いた表情を作った。
「いないさ、誰も。」
と声を張り上げた。けれど、彼は、妻に愛しているという一言は、心の中に浮かばなかった。ただただ、彼の妻が持った浮気の疑惑を晴らそうとするのに、懸命であった。現状という関係を壊したくない一人の人物がそこにはあった。男と女の間に、恋が生まれ、愛になり、深まらずに愛が薄れ、男と女の関係が解消される現象、まるで、決まったプロセスの中に生きている人間のようだった。
やがて、疑惑は、真実の探求と共に二人を感情的にさせた。
妻は、夫の怒りを含んだ顔を見た時、自分は犠牲者のままでいればよかった、聞かなければ、良かったという後悔が生まれた。それは、夫がサラリーマンで、毎月給料を持ってきて、人並み以上の生活が出来るという保証があったからだった。浮気をしても家庭を壊さないという奇妙な風習は、唯物的な根本上に人間関係もあるからのようだった。愛が、家庭に属しているかの姿だった。
「本当のことを言ってよ。」
心の中では、少し弱気になりながら妻は問いかけた。
「何も、やましいことはないさ。」
と夫は、強気を貫いた。
彼は、妻への愛が、薄れたというよりも、全くなくなっている気がした。いや、もう、全くない気さえもしたが、別れられない何かが、彼自身を引き留めた。仮面の夫婦と言う形容が、良く似合う気がした。
「嘘よ。」
仮面を剥ごうとする妻の一言が、彼の心を貫いた。
「ただ今。」
という、塾が入りの中学生である娘の帰宅によって、その場を救われた。
二人の間に、微妙な空気が流れた。仮面を二人は直した。
二人の目の前に現れた娘は、まだ若いのに、どこか人生の疲労感が漂っていた。
「お帰り。」
と妻がそれまでの表情を一変させた。
「ただ今。」
と、娘が再び言った。彼は、娘が漂わせる疲労感に、憐れみさえ感じた。
日本の社会は、若い子を若い子の感性のままに生きさせられない、間違った競争社会を創造してしまったと感じた。その時、夫婦間で起きている争いごとの責任転換を、社会の方に振り向けることで、自分の置かれている立場をスライドさせ、重くなっていた彼の心を一瞬だけ和ませた。そうしなければ、彼の居場所は、この場においてはない気がしたからだった。
彼は、自分の娘の存在が、愛情さえもなくなった夫婦間を繋いでいると思った。モラルも、良心の呵責もなく、不倫を吹聴するマスメディアに、受け取る側さえ、他人の勝手という空気があるのに、有名人の不倫には、妙に神経質になり、叩きまくる奇妙さを、彼は自分の心の中に重なり合わせた。同じように、自分も叩かれないのは、何か変だなと思った。
妻への隠し事は、呵責もないのに、娘への隠し事は、呵責を感じた。だから、彼は、
「お帰り。」
と娘に言った時、娘への愛情を心の中に認めた。父性が形を伴った。
彼と妻が、目を見合って、仲の良い親を娘の前で演じた。仮面がしっかりと二人を隠した。
「食事は、」
娘の母親の一言から、家族という時間が始まった。実は、娘も、家族という中で、楽しそうであり続けるという家族的な、役割を知っているのではないかさえ、彼は思った。
それとも、本当に娘は、彼ら夫婦の修羅場的な状態を何も知らないでいるのか、どこか疑問を持った。
現代の子供は、すでに生まれた時から無関心であり続けるのだろうかとさえ、彼は感じた。もし、中学生くらいの子供たちが、既に、親の関係に、家族の在り方に無関心であるなら、一昔前の家族の価値観も崩壊し、消滅している気がした。
もう、これ以上、愛とか、絆とかを捜したところで、見つからない気がした。
震災後、日本の社会は特に、精神的な基盤を変貌させた。自分さえ生き延びられれば、というサバイバルと、もしかしたら、明日、いや、今すぐにでも大地震が来て、目の前が崩壊して、消滅してしまうという、現実があり、それがトラウマになっていた。大都会が見せた、震災当日の都会の姿。重々しい空気の中で、繰り広げられた、現実は、諦念を現出していた。物質だけで精神的なものは何もかも否定してきた、戦後。そして、あの日以来、もっと、加速してきている気がした。皆で助け合ってと言う裏側に、どこか計算があって、
しかも、真実が隠されている現実が、家族や、夫婦間にも影響しているのだと思わずにはいられなかった。
一体、どこに行ってしまったのだろうか。
そのような問いかけさえ、もう、生まれてこない、そんな社会的な風潮であった。
自分さえ生き延びても、明日は分からない、そういう態度とトラウマ。
稀薄なんて消え去った。
人間なんて、幻影にすぎない。
透明な存在に、色を加えただけみたいだった。
だから、その色が、色あせたら、人間の存在も薄れ、人間の関係もふと消え去って行った。
彼自身、それまでの夫婦の関係は、ただの思い過ごしで、本当は何もなかったのだと思い始めた。
愛とか、恋とかは、20代までのたわごとで、30になると、きっと現実に疲れ始め、そして、真実を知る。そんな過程を過ごした。無力であることが、人生の折り返しから次第に理解されるようになった。その無力さに、魔がさした。一瞬だけ、愛とか、恋とかを謳歌した、時間に戻れそうになった。だから、そのまま、人生を引きずるようにして、妻とは別の女性と男と女の関係を深めた。それは、妻と私の関係が希薄になって行くのと正反対だった。
「今日は、お友達と、ハンバーガー食べたから、何もいらない。」
娘が言った。
「あら、そうなの。」
そう言って、娘の目を見た。母親は、娘が家庭の中の空気を拒んでいるのを見てとり始めていた。私と妻の関係の亀裂が、家庭と言う場の空気をも破壊していった。
幸せな家庭を築きたいという、結婚式の私たちのスピーチも、10年以上も前になれば、それもまた、過去に遠ざかってしまっている気がした。10数年、築いてきた過程を壊すのなんて、本当に簡単な気がした。築いてきた幸せを保ち続けることが、どんなに大変な事かと思った。それは、幸せが幻影でも同じ気がした。
「最近、家で食べないじゃないか。」
私の問い掛けは、娘に無視された。ぎくしゃくとした空気だった。妻は、私の肩は持たなかった。
「食べたくなったら、食べなさい。」
娘を擁護するように、妻が言った。
「うん。」
娘は、自分の部屋に行こうとした。3人の会話の少なさが、家族という関係も消えてしまってきていると感じさせられた。遠い日が、手元から崩れ、そして、今という時間にドミノ倒しのように迫った。
妻と二人、リビングでポツンとした感情を味わった。私は、二人だけの空気に耐えられなくなって、その場から離れようとした。けれど、妻は、それを許さなかった。
「隠さないでよ。」
という妻の一言が、私を再び襲った。私はその追求から逃れようとしていただけである気がした。
「だから、何がさ。」
と、私は、知らないふりをした。
「言ってよ、本当の事。」
妻の疑心暗鬼は、終わることはなかった。私は、何か、証拠を突きつけられ、逃げられない状況にまで、追い込まれると思った。
きっと、娘が私たちの会話を自分の部屋から聞いている、と勝手な想像をした。
始めて、離婚と言う言葉が私の脳裏に浮かんだ。
「だから、言ってよ。」
お茶の入った湯呑を持ったまま、立っている私は、自分だけ空間と時間が異なる世界に放り出されてしまった気がした。寝室に置いたままの自分のスマートフォンが妙に気になった。いつか、言う時が来て、妻と別れるのか、それとも、何もかかったかのように、若い愛人と別れるのか。どちらか決断する時が来る気がした。

スマートフォンを見た。
今から、会いたいという、若い愛人からのメールが来ていた。
家庭は壊したくないからと言っていた、女の豹変ぶりがあった。
早く、あなたの奥さんと別れてよ、と催促されている気がした。
人生に先が見えると、死を本当に意識し始めると、女の嘘とか、変わり様には傷つかないのだと思った。若い頃だけ、女の嘘に傷つくのだと知った。
ただ、自分の感情に従う事が全てだと思った。
何もかも壊して、私は今すぐ会いに行こうと心に決めた。
出かける目の前、リビングのドア越しに妻の顔を見た。愛という感情は自分には残っていない気がした。
私は、無言のまま、家を後にした。

沈黙の向こう側

「知っていたのよ、すべてをね。」
切り出しは、すこし、感情の高ぶりを含んでいた。
「ずっと前からよ」
時間的経過を加えられた時、
またかと、彼女の夫は思った。
「何が。」
彼は、とぼけたが、彼の妻の追求は止まらなかった。
「嘘はつかないでね。」
彼女に微笑みが戻ったが、彼のひきつったような表情を見た途端、彼女の微笑みは、すぐに消えた。
夫婦の間に沈黙が生まれた。
「知っているからね。」
そう、彼女が切り出した。
具体的な事を何も言わない彼女にしびれを切らしたように、彼が、
「だから、何がさ。」
と問い返した。また、浮気しているとでも言いたいのだろうと思わせられた。
彼の妻は、仕事の接待で、頻繁に使うクラブの領収書に、疑いをかけていた。
久しぶりに景気が回復してきて、大きな受注が取れそうだから、お客を良いクラブで接待しているのが、よほど、嫌なのだと彼は思った。日本人のサラリーマンの妻になった、日本の女性だから、それは、宿命的な義務付けだと、目を瞑る暗黙で、日本的な規範の中に生きなければならない、夫婦の関係があった。
営業をするサラリーマンにおける日本の社会的なシステムが、その中にあるのだから、妻はどこかで犠牲にならなければ、生きていけない世界であった。彼の妻は、接待しているという事に、不満があったのではなく、接待を通じて、彼女の夫が浮気をしているのではないか、というのが不安で、不満で、憤りだった。会社の為、仕事の為、そのすべての中で、男と女が生きている社会、それが、日本的な社会であった。男はだからその構築されている社会システムを利用し、自分の欲望を満たそうとした。自分は会社の犠牲になっているから、会社の為に利益を上げることで、その代償をもらっている、領収書を切ることは、会社への契約書みたいなものだった。会社の延長上に妻とは別の女たちがいたとしても、それは、自己犠牲を自分自身に唯一正当化可能な代償があるから、犠牲になれるようであった。けれど、その自己犠牲が、男と女の感情性を伴わなければ、妻と言う存在は、その犠牲的な領域に踏み込むことはなかった。日本の女は、男の犠牲であり、それは夫に食べさせてもらっているという、関係性があるから成り立ちえる、夫婦関係であった。幸せとは、夫の聖域に決して入ることなく、夫を出世させること。そこに尽きた。そこには、モラルとか、愛とかではなく、犠牲的な存在への引換として成立するシステムだけが横たわっていた。
武士道的自己犠牲の精神と、西洋的資本主義がもたらした、社会システム、犠牲者が、絶対的な犠牲者にはならず、犠牲の代替えを要求する事で、関係をWin Winに保とうとする世界だった。
また、妻にとっては、夫からの貨幣が、自己犠牲への慰謝料であるかのようになっていた。食べるために、生きるために、だから、幸せも、何かの代償の結果手に入れることになっていた。あるいは、代償の結果が幸せという存在であるかもしれなかった。
それならば、幸せになる事はたやすい。何かの代償の為に、自己犠牲者になればいいのだから。論理的矛盾などに目を向けることなく、犠牲者であれば、世間はその人に目を向けそして、生きるべき賞賛さえ与える。この国の生き様は、男も女も似ている。犠牲者だから、被害者なのだから、という言い訳のもとですべてが寛容で許される社会であった。
日本企業という会社の犠牲者と、夫の犠牲者、二人の犠牲者が、互いに自分は被害者だと主張し合う家庭の中で、被害者同士が争いを始めていた。
「誰か、いるの。」
決心を固めたように、彼の妻が聞いた。彼は、故意に驚いた表情を作った。
「いないさ、誰も。」
と声を張り上げた。けれど、彼は、妻に愛しているという一言は、心の中に浮かばなかった。ただただ、彼の妻が持った浮気の疑惑を晴らそうとするのに、懸命であった。現状という関係を壊したくない一人の人物がそこにはあった。男と女の間に、恋が生まれ、愛になり、深まらずに愛が薄れ、男と女の関係が解消される現象、まるで、決まったプロセスの中に生きている人間のようだった。
やがて、疑惑は、真実の探求と共に二人を感情的にさせた。
妻は、夫の怒りを含んだ顔を見た時、自分は犠牲者のままでいればよかった、聞かなければ、良かったという後悔が生まれた。それは、夫がサラリーマンで、毎月給料を持ってきて、人並み以上の生活が出来るという保証があったからだった。浮気をしても家庭を壊さないという奇妙な風習は、唯物的な根本上に人間関係もあるからのようだった。愛が、家庭に属しているかの姿だった。
「本当のことを言ってよ。」
心の中では、少し弱気になりながら妻は問いかけた。
「何も、やましいことはないさ。」
と夫は、強気を貫いた。
彼は、妻への愛が、薄れたというよりも、全くなくなっている気がした。いや、もう、全くない気さえもしたが、別れられない何かが、彼自身を引き留めた。仮面の夫婦と言う形容が、良く似合う気がした。
「嘘よ。」
仮面を剥ごうとする妻の一言が、彼の心を貫いた。
「ただ今。」
という、塾が入りの中学生である娘の帰宅によって、その場を救われた。
二人の間に、微妙な空気が流れた。仮面を二人は直した。
二人の目の前に現れた娘は、まだ若いのに、どこか人生の疲労感が漂っていた。
「お帰り。」
と妻がそれまでの表情を一変させた。
「ただ今。」
と、娘が再び言った。彼は、娘が漂わせる疲労感に、憐れみさえ感じた。
日本の社会は、若い子を若い子の感性のままに生きさせられない、間違った競争社会を創造してしまったと感じた。その時、夫婦間で起きている争いごとの責任転換を、社会の方に振り向けることで、自分の置かれている立場をスライドさせ、重くなっていた彼の心を一瞬だけ和ませた。そうしなければ、彼の居場所は、この場においてはない気がしたからだった。
彼は、自分の娘の存在が、愛情さえもなくなった夫婦間を繋いでいると思った。モラルも、良心の呵責もなく、不倫を吹聴するマスメディアに、受け取る側さえ、他人の勝手という空気があるのに、有名人の不倫には、妙に神経質になり、叩きまくる奇妙さを、彼は自分の心の中に重なり合わせた。同じように、自分も叩かれないのは、何か変だなと思った。
妻への隠し事は、呵責もないのに、娘への隠し事は、呵責を感じた。だから、彼は、
「お帰り。」
と娘に言った時、娘への愛情を心の中に認めた。父性が形を伴った。
彼と妻が、目を見合って、仲の良い親を娘の前で演じた。仮面がしっかりと二人を隠した。
「食事は、」
娘の母親の一言から、家族という時間が始まった。実は、娘も、家族という中で、楽しそうであり続けるという家族的な、役割を知っているのではないかさえ、彼は思った。
それとも、本当に娘は、彼ら夫婦の修羅場的な状態を何も知らないでいるのか、どこか疑問を持った。
現代の子供は、すでに生まれた時から無関心であり続けるのだろうかとさえ、彼は感じた。もし、中学生くらいの子供たちが、既に、親の関係に、家族の在り方に無関心であるなら、一昔前の家族の価値観も崩壊し、消滅している気がした。
もう、これ以上、愛とか、絆とかを捜したところで、見つからない気がした。
震災後、日本の社会は特に、精神的な基盤を変貌させた。自分さえ生き延びられれば、というサバイバルと、もしかしたら、明日、いや、今すぐにでも大地震が来て、目の前が崩壊して、消滅してしまうという、現実があり、それがトラウマになっていた。大都会が見せた、震災当日の都会の姿。重々しい空気の中で、繰り広げられた、現実は、諦念を現出していた。物質だけで精神的なものは何もかも否定してきた、戦後。そして、あの日以来、もっと、加速してきている気がした。皆で助け合ってと言う裏側に、どこか計算があって、
しかも、真実が隠されている現実が、家族や、夫婦間にも影響しているのだと思わずにはいられなかった。
一体、どこに行ってしまったのだろうか。
そのような問いかけさえ、もう、生まれてこない、そんな社会的な風潮であった。
自分さえ生き延びても、明日は分からない、そういう態度とトラウマ。
稀薄なんて消え去った。
人間なんて、幻影にすぎない。
透明な存在に、色を加えただけみたいだった。
だから、その色が、色あせたら、人間の存在も薄れ、人間の関係もふと消え去って行った。
彼自身、それまでの夫婦の関係は、ただの思い過ごしで、本当は何もなかったのだと思い始めた。
愛とか、恋とかは、20代までのたわごとで、30になると、きっと現実に疲れ始め、そして、真実を知る。そんな過程を過ごした。無力であることが、人生の折り返しから次第に理解されるようになった。その無力さに、魔がさした。一瞬だけ、愛とか、恋とかを謳歌した、時間に戻れそうになった。だから、そのまま、人生を引きずるようにして、妻とは別の女性と男と女の関係を深めた。それは、妻と私の関係が希薄になって行くのと正反対だった。
「今日は、お友達と、ハンバーガー食べたから、何もいらない。」
娘が言った。
「あら、そうなの。」
そう言って、娘の目を見た。母親は、娘が家庭の中の空気を拒んでいるのを見てとり始めていた。私と妻の関係の亀裂が、家庭と言う場の空気をも破壊していった。
幸せな家庭を築きたいという、結婚式の私たちのスピーチも、10年以上も前になれば、それもまた、過去に遠ざかってしまっている気がした。10数年、築いてきた過程を壊すのなんて、本当に簡単な気がした。築いてきた幸せを保ち続けることが、どんなに大変な事かと思った。それは、幸せが幻影でも同じ気がした。
「最近、家で食べないじゃないか。」
私の問い掛けは、娘に無視された。ぎくしゃくとした空気だった。妻は、私の肩は持たなかった。
「食べたくなったら、食べなさい。」
娘を擁護するように、妻が言った。
「うん。」
娘は、自分の部屋に行こうとした。3人の会話の少なさが、家族という関係も消えてしまってきていると感じさせられた。遠い日が、手元から崩れ、そして、今という時間にドミノ倒しのように迫った。
妻と二人、リビングでポツンとした感情を味わった。私は、二人だけの空気に耐えられなくなって、その場から離れようとした。けれど、妻は、それを許さなかった。
「隠さないでよ。」
という妻の一言が、私を再び襲った。私はその追求から逃れようとしていただけである気がした。
「だから、何がさ。」
と、私は、知らないふりをした。
「言ってよ、本当の事。」
妻の疑心暗鬼は、終わることはなかった。私は、何か、証拠を突きつけられ、逃げられない状況にまで、追い込まれると思った。
きっと、娘が私たちの会話を自分の部屋から聞いている、と勝手な想像をした。
始めて、離婚と言う言葉が私の脳裏に浮かんだ。
「だから、言ってよ。」
お茶の入った湯呑を持ったまま、立っている私は、自分だけ空間と時間が異なる世界に放り出されてしまった気がした。寝室に置いたままの自分のスマートフォンが妙に気になった。いつか、言う時が来て、妻と別れるのか、それとも、何もかかったかのように、若い愛人と別れるのか。どちらか決断する時が来る気がした。

スマートフォンを見た。
今から、会いたいという、若い愛人からのメールが来ていた。
家庭は壊したくないからと言っていた、女の豹変ぶりがあった。
早く、あなたの奥さんと別れてよ、と催促されている気がした。
人生に先が見えると、死を本当に意識し始めると、女の嘘とか、変わり様には傷つかないのだと思った。若い頃だけ、女の嘘に傷つくのだと知った。
ただ、自分の感情に従う事が全てだと思った。
何もかも壊して、私は今すぐ会いに行こうと心に決めた。
出かける目の前、リビングのドア越しに妻の顔を見た。愛という感情は自分には残っていない気がした。
私は、無言のまま、家を後にした。

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