東北で考えた事
東北で考えた事
大雪の中、東北地方を旅して真っ先に考えたのは、東日本大震災は、人災だったという事だ。
あれだけ多くの命が犠牲にならず、救われていた可能性はあったと確信した。
けれど、私は、その人災を批判はしない。
何故なら、私も津波の犠牲になった人達と同じ立場だったら、すぐに逃げず、きっと、海の前で津波を見たと思うから。
こんなに凄まじい海の姿があるのだと、その場に立ちすくんだで、離れなかったと思う。
津波に飲まれたとしても、波の中で生きたいとしてもがくだろうか。大きな力の前に、抵抗することない気がする。
それが、悲しいとか、不幸だとか、そういう尺度も超えている、それほど、東北地方の自然は厳しいと実感した。
例え、自然への畏怖が人々の心から薄れてもなお、自然はその驚異さを失う事はない。
コロナという存在に、日常生活はなお脅かされているが、東北の人達は、コロナの前から不要不急の外出は、雪のせいでしなかった筈だ。だから、コロナの為に不要不急の外出をしないで下さいと言われても、昔から、不要不急の外出は雪のせいでしたことはないと、そして、不要不急の術は、知っていると反論される筈だ。けれど、そういう声は、東京には届かない。そういう声は、多数の前で打ち消されてきた。東北の地には、忘れかけた、いや、違う世界だという位に受け入れなかった、真実があると感じた。
コロナが、これまでの人間世界の歩みをグローバル世界において止めている。これまで、本当に正しかったのか。価値観も、変わった。必要だったものが、必要ないと知らされた。何が真実で、何が真実ではないか。振るいに掛けられている。
現在が過去になって行く速度が、あまりにも速すぎる程のスピードではあるが、コロナ禍でも、そのままの価値観であり続けられる、土地もあるのだ思い知らされた。
隔絶性の中で生き、隔絶性の中で生きる術が、既に歴史的継続性にあるのだと認めた時、自分の心の目が開かされた気がした。多様な価値と、価値観は、決して統一化は出来ない。統一を夢見る事こそが、間違いであるのだと。
それならば、何故そのような現象が生まれてくるのか、それが私の課題である。ただ、それは東北の地と同様、コロナ前と後も、私の課題としては何も変わらない。その幅が広がっただけであった。
短い期間だったが、雪の中の生活で様々な厳しい現実があるのを垣間見た。
それでも旅人は、東北の雪の大地に「美しい」と言い続ける。
2022年1月18日 東京
東北で考えた事
大雪の中、東北地方を旅して真っ先に考えたのは、東日本大震災は、人災だったという事だ。
あれだけ多くの命が犠牲にならず、救われていた可能性はあったと確信した。
けれど、私は、その人災を批判はしない。
何故なら、私も津波の犠牲になった人達と同じ立場だったら、すぐに逃げず、きっと、海の前で津波を見たと思うから。
こんなに凄まじい海の姿があるのだと、その場に立ちすくんだで、離れなかったと思う。
津波に飲まれたとしても、波の中で生きたいとしてもがくだろうか。大きな力の前に、抵抗することない気がする。
それが、悲しいとか、不幸だとか、そういう尺度も超えている、それほど、東北地方の自然は厳しいと実感した。
例え、自然への畏怖が人々の心から薄れてもなお、自然はその驚異さを失う事はない。
コロナという存在に、日常生活はなお脅かされているが、東北の人達は、コロナの前から不要不急の外出は、雪のせいでしなかった筈だ。だから、コロナの為に不要不急の外出をしないで下さいと言われても、昔から、不要不急の外出は雪のせいでしたことはないと、そして、不要不急の術は、知っていると反論される筈だ。けれど、そういう声は、東京には届かない。そういう声は、多数の前で打ち消されてきた。東北の地には、忘れかけた、いや、違う世界だという位に受け入れなかった、真実があると感じた。
コロナが、これまでの人間世界の歩みをグローバル世界において止めている。これまで、本当に正しかったのか。価値観も、変わった。必要だったものが、必要ないと知らされた。何が真実で、何が真実ではないか。振るいに掛けられている。
現在が過去になって行く速度が、あまりにも速すぎる程のスピードではあるが、コロナ禍でも、そのままの価値観であり続けられる、土地もあるのだ思い知らされた。
隔絶性の中で生き、隔絶性の中で生きる術が、既に歴史的継続性にあるのだと認めた時、自分の心の目が開かされた気がした。多様な価値と、価値観は、決して統一化は出来ない。統一を夢見る事こそが、間違いであるのだと。
それならば、何故そのような現象が生まれてくるのか、それが私の課題である。ただ、それは東北の地と同様、コロナ前と後も、私の課題としては何も変わらない。その幅が広がっただけであった。
短い期間だったが、雪の中の生活で様々な厳しい現実があるのを垣間見た。
それでも旅人は、東北の雪の大地に「美しい」と言い続ける。
2022年1月18日 東京