小さな漁村

小さな漁村

日本海の荒波の前、小さな漁村の前には、雪をかぶっている小さな船が並んでいた。
荒れる海から、こんなに小さな船で、海に出れる日が本当にあるのかなんて想像は出来なかった。
こんなに荒れる海に出れるなら、この地に生きる漁師達はきっと、風の姿が見れる。風のささやきさえ聞き逃さない。海の上を流れる雲の流れ一つ、海が映す波の形で未来を予想は出来るはずだ。
自然の姿そのもので、海の未来が分からなければ、絶対にこの海には出れない。
つまりそれは、分からなければ海では生きてはいけないという事を意味するはずだ。
自然の力によって淘汰されるのを知っているから、抵抗はしない。東洋的な諦念の存立はそこからの派生にあるが、それは、東洋の哲学の一つだ。
海は、人の存在を消し去るを知っているから、海の為に整然と船が並べられて次を待っている。
それは、実はダーウィニズムを超越している。
逆らわない、抵抗しない、自然の大きな力に従う術がある。
もしも、漁師が行くか行かないか、一つの疑問や迷いさえが残ったまま海に出たら、海は本当の姿を見せるはずだ。
容赦なく人の存在を飲み込むだろう。
この海の荒れ方はそういう姿があるというそのままだ。

海で生きるためには、人工衛星なんて必要ない。天気予報は、自分だけしかない。自然に対する勘が生を左右する。その位厳しい地のような気がする。この地の自然がこの地に住む人間に教えて来た歴史がある。そこには悲劇が見え隠れしている。科学では到達できない力、それがその小さな漁村の小さな船で哲学だ。
グローバル世界においては、西洋の考えがすべてではない、まして、西洋の哲学はグローバル世界の絶対でもない。西洋の哲学が絶対なら、コロナ禍でも救済するはずだ。絶対とはそういう意味のはずだ。絶対ではないから救う事が出来ず、精神もコロナ禍で苦しみ、あえぎぬいている。
だからこの地には西洋的絶対哲学は、当てはまらない。この小さな船で、日本海を相手するのは、人間が自然の一部であるという証明だからだ。
すべては、関係性の上に定立しているだけだ、だから多様性がある。
ポストコロナ。
ここ海に生きる人達にも、未来の哲学の答えが隠れている気がした。
いや、彼らの哲学においては、コロナの前でも後でも関係はない。
未来に当てはめようとしているのは、間違っていた絶対を信じてきた者達だ。

逆らわない、抵抗しない。
それが大きな力への掟だ。
相対的な絶対が関係提示している、それが未来の哲学だ。けれど、それは「絶対」ではない。
関係性の提示、どのように?それが、私の哲学的な課題だ。
この海の姿を見にいった。そしてそこに生きる人達に会いに行った。それだけだ。
推移関係性が鍵を握っている。それを確かめた。

2022年1月10日 東京

小さな漁村

日本海の荒波の前、小さな漁村の前には、雪をかぶっている小さな船が並んでいた。
荒れる海から、こんなに小さな船で、海に出れる日が本当にあるのかなんて想像は出来なかった。
こんなに荒れる海に出れるなら、この地に生きる漁師達はきっと、風の姿が見れる。風のささやきさえ聞き逃さない。海の上を流れる雲の流れ一つ、海が映す波の形で未来を予想は出来るはずだ。
自然の姿そのもので、海の未来が分からなければ、絶対にこの海には出れない。
つまりそれは、分からなければ海では生きてはいけないという事を意味するはずだ。
自然の力によって淘汰されるのを知っているから、抵抗はしない。東洋的な諦念の存立はそこからの派生にあるが、それは、東洋の哲学の一つだ。
海は、人の存在を消し去るを知っているから、海の為に整然と船が並べられて次を待っている。
それは、実はダーウィニズムを超越している。
逆らわない、抵抗しない、自然の大きな力に従う術がある。
もしも、漁師が行くか行かないか、一つの疑問や迷いさえが残ったまま海に出たら、海は本当の姿を見せるはずだ。
容赦なく人の存在を飲み込むだろう。
この海の荒れ方はそういう姿があるというそのままだ。

海で生きるためには、人工衛星なんて必要ない。天気予報は、自分だけしかない。自然に対する勘が生を左右する。その位厳しい地のような気がする。この地の自然がこの地に住む人間に教えて来た歴史がある。そこには悲劇が見え隠れしている。科学では到達できない力、それがその小さな漁村の小さな船で哲学だ。
グローバル世界においては、西洋の考えがすべてではない、まして、西洋の哲学はグローバル世界の絶対でもない。西洋の哲学が絶対なら、コロナ禍でも救済するはずだ。絶対とはそういう意味のはずだ。絶対ではないから救う事が出来ず、精神もコロナ禍で苦しみ、あえぎぬいている。
だからこの地には西洋的絶対哲学は、当てはまらない。この小さな船で、日本海を相手するのは、人間が自然の一部であるという証明だからだ。
すべては、関係性の上に定立しているだけだ、だから多様性がある。
ポストコロナ。
ここ海に生きる人達にも、未来の哲学の答えが隠れている気がした。
いや、彼らの哲学においては、コロナの前でも後でも関係はない。
未来に当てはめようとしているのは、間違っていた絶対を信じてきた者達だ。

逆らわない、抵抗しない。
それが大きな力への掟だ。
相対的な絶対が関係提示している、それが未来の哲学だ。けれど、それは「絶対」ではない。
関係性の提示、どのように?それが、私の哲学的な課題だ。
この海の姿を見にいった。そしてそこに生きる人達に会いに行った。それだけだ。
推移関係性が鍵を握っている。それを確かめた。

2022年1月10日 東京

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