夜が終わる頃

夜が終わる頃
春、夜明けが来るまでには、まだ時間があった。
夜明け前のまだ暗い中で、車のエンジンをかけた。
鼓動がもう一つ生まれ、静寂が崩れ去った。
人の鼓動みたいなリズムが機械の中にも埋め込まれた。
ハンドルを握り、意味のないため息を一つついた。
ブレーキから足を離し、アクセルを緩く踏んだ。
ゆっくり車は、走り始めた、そして別の時間が動き始めた。
彼女との待ち合わせ場所に向かった。
一直線に緑色が連なる中、時間を手繰り寄せるように走らせた。
車を走らせながら、今度は、一つ深呼吸をした。
その深呼吸には、深い意味がある気がした。
日本橋を抜けると、人が作った光にまばゆく照らされた目覚め前の丸の内だった。
様々な店に、夜を徹して搬入をしていたトラックがそろそろ帰り支度をし始める頃に近くなっていた。
誰の人影もない、静寂という至福の時間が続いていた。
その瞬間、何気なく意味を交錯させる虚無の本質に触れた気がした。
「ない」ではないのに、実体がある虚無への感情性があった。不思議な感覚だった。
論理性なんて、必要ない捉え方を宿す単なる無意味なプロセスに過ぎない気がした。
その現象にいる自分に原因も意味も必要はないとしか感じなかった。
追求する契機さえ用はないとさえ思った。
だから、もし誰かがいたら、今という時間は、一切の価値を失ってしまう。
そして、目覚める前の東京から、美の一切を奪い去ってしまう。
この街の美は、絶対的な一瞬の刹那だ。
それは、今という時間に感情を埋め込む、一種の企みであり、そして着飾ったような見せかけだ。
そこだけに未来性がある、企みである見せかけという美だ。
時に悲しく、時に言いしれない喜びを持つ、企みという刹那だ。
それだから、今から彼女に会えるのが、嬉しいとかではなく、会うことが目的でもなく、会うまでの瞬間の刹那を感じるためだけの気がした。
いつもそこに恋愛感情を置き換えるから、愛なんてないと言われ続けてきた。
失う事への不安、孤独、焦燥なんて何もない、いや、何も気にしないできた。
あるのはただ、別の時を刻む時間へのいとほしさだけだった。
それは、過ぎた時間と共にいる、複合する今だった。そして、それが存在を映仕込む自分だった。
けれど、深い、深い深淵にある、時間に触れる自分は、複雑ではなく、単純化された感情があるだけだった。
愛の為ではない、出会うのは、違う何かの為にある気がした。
しばらく、流れ去る都会を楽しんだ。理由なんていらなかった。
ただ、楽しければそれが全て、そしてその感情に純粋に、そして素直に従うだけだった。
それが、人生から得た教訓だった。
苦悩なんて、とっくの昔に消え去った。
次第に、ビル群を抜け、東京の住宅街に移ろうとしていた。待ち合わせ場所がもうすぐ見える一歩手前で、信号が黄色になった。
いつもなら、アクセルを踏んで抜け切るタイミングなのにブレーキをかけた。
白線の手前、黄色から赤になる時間がいつもより長く感じた。
少し、冷酷になる自分がいた。
そして、深呼吸する事を思い出した。
今度の深呼吸は意味はなかった。出かける前の溜息に似ていた。
信号が、永遠に赤色のままの気がした。
むしろ、何の理由もなくそれを望んだのかもしれなかった。
車の外、朝がちらほら見えて来ていた。
スマートフォンの画面には、いつもの場所で待っているね、とメッセージの知らせが映っていた。
未来なんていらない、朝なんか来なくても、感情的にはならない。
夜のままでも、何も困らない。信号が赤のままでも、不幸にはならない。
彼女の笑顔を見たら、その笑顔につられて、自分も笑顔になるだけの気がした。
介在的な何かに自分を映せればそれで良いと感じた。
だから、東京に宿る、男と女の美は切ない。
壊れてしまい、気が狂いそうになる位、切ない美がある街に映す互いの介在だ。
信号が、緑になった。
長かった夜が、次第に遠い向こうに去って行った。
会うためではなく、会うまでの全てに美があると言ったら、きっとまた、不可解さにけげんな表情をし、不機嫌になる彼女の顔を思いだした。
バックミラー越し過ぎ去ってゆく光景は、過去と今をかろうじてつなぐ手段のような気がした。
昨日と同じ朝が、今日も訪れたのだと思った。
2025年3月26日 東京
夜が終わる頃
春、夜明けが来るまでには、まだ時間があった。
夜明け前のまだ暗い中で、車のエンジンをかけた。
鼓動がもう一つ生まれ、静寂が崩れ去った。
人の鼓動みたいなリズムが機械の中にも埋め込まれた。
ハンドルを握り、意味のないため息を一つついた。
ブレーキから足を離し、アクセルを緩く踏んだ。
ゆっくり車は、走り始めた、そして別の時間が動き始めた。
彼女との待ち合わせ場所に向かった。
一直線に緑色が連なる中、時間を手繰り寄せるように走らせた。
車を走らせながら、今度は、一つ深呼吸をした。
その深呼吸には、深い意味がある気がした。
日本橋を抜けると、人が作った光にまばゆく照らされた目覚め前の丸の内だった。
様々な店に、夜を徹して搬入をしていたトラックがそろそろ帰り支度をし始める頃に近くなっていた。
誰の人影もない、静寂という至福の時間が続いていた。
その瞬間、何気なく意味を交錯させる虚無の本質に触れた気がした。
「ない」ではないのに、実体がある虚無への感情性があった。不思議な感覚だった。
論理性なんて、必要ない捉え方を宿す単なる無意味なプロセスに過ぎない気がした。
その現象にいる自分に原因も意味も必要はないとしか感じなかった。
追求する契機さえ用はないとさえ思った。
だから、もし誰かがいたら、今という時間は、一切の価値を失ってしまう。
そして、目覚める前の東京から、美の一切を奪い去ってしまう。
この街の美は、絶対的な一瞬の刹那だ。
それは、今という時間に感情を埋め込む、一種の企みであり、そして着飾ったような見せかけだ。
そこだけに未来性がある、企みである見せかけという美だ。
時に悲しく、時に言いしれない喜びを持つ、企みという刹那だ。
それだから、今から彼女に会えるのが、嬉しいとかではなく、会うことが目的でもなく、会うまでの瞬間の刹那を感じるためだけの気がした。
いつもそこに恋愛感情を置き換えるから、愛なんてないと言われ続けてきた。
失う事への不安、孤独、焦燥なんて何もない、いや、何も気にしないできた。
あるのはただ、別の時を刻む時間へのいとほしさだけだった。
それは、過ぎた時間と共にいる、複合する今だった。そして、それが存在を映仕込む自分だった。
けれど、深い、深い深淵にある、時間に触れる自分は、複雑ではなく、単純化された感情があるだけだった。
愛の為ではない、出会うのは、違う何かの為にある気がした。
しばらく、流れ去る都会を楽しんだ。理由なんていらなかった。
ただ、楽しければそれが全て、そしてその感情に純粋に、そして素直に従うだけだった。
それが、人生から得た教訓だった。
苦悩なんて、とっくの昔に消え去った。
次第に、ビル群を抜け、東京の住宅街に移ろうとしていた。待ち合わせ場所がもうすぐ見える一歩手前で、信号が黄色になった。
いつもなら、アクセルを踏んで抜け切るタイミングなのにブレーキをかけた。
白線の手前、黄色から赤になる時間がいつもより長く感じた。
少し、冷酷になる自分がいた。
そして、深呼吸する事を思い出した。
今度の深呼吸は意味はなかった。出かける前の溜息に似ていた。
信号が、永遠に赤色のままの気がした。
むしろ、何の理由もなくそれを望んだのかもしれなかった。
車の外、朝がちらほら見えて来ていた。
スマートフォンの画面には、いつもの場所で待っているね、とメッセージの知らせが映っていた。
未来なんていらない、朝なんか来なくても、感情的にはならない。
夜のままでも、何も困らない。信号が赤のままでも、不幸にはならない。
彼女の笑顔を見たら、その笑顔につられて、自分も笑顔になるだけの気がした。
介在的な何かに自分を映せればそれで良いと感じた。
だから、東京に宿る、男と女の美は切ない。
壊れてしまい、気が狂いそうになる位、切ない美がある街に映す互いの介在だ。
信号が、緑になった。
長かった夜が、次第に遠い向こうに去って行った。
会うためではなく、会うまでの全てに美があると言ったら、きっとまた、不可解さにけげんな表情をし、不機嫌になる彼女の顔を思いだした。
バックミラー越し過ぎ去ってゆく光景は、過去と今をかろうじてつなぐ手段のような気がした。
昨日と同じ朝が、今日も訪れたのだと思った。
2025年3月26日 東京