都会の路面電車

都会の路面電車

今もなお、東京を走る路面電車。
子供の頃は、かろうじてまだ走っていた。
ちょうど路線が廃止されて行く過渡期だった。
幼稚園の頃、三越に行く時は、いつも肌色とオレンジ色の中間色に、赤いラインが入っていた都電の22番を使っていた。
だから、薄っすらと記憶にある。
あれから、残ったのは、ただ一線だけ、それはすべてが淘汰され尽くした結果だ。
これまで見てきた地方都市の路面電車に比べたら、東京の路面電車はどことなく寂しげに映る。
人々の生活の足はまるで、遊園地の乗り物のようにゆっくりと街中を抜ける。
それは、都会にふさわしく無関心で、誰にも干渉されない姿だ。
その姿に「なんか、いいよね。」思わずそう言いたくなる。
低速度で揺れる乗り心地でさえ、「なんか、いいよね。」と言いたくなる。
嬉しい事に、今でも、出発の時「チンチン」と音を立てる。
どこか、懐かしく、その音色は、失った時間は存在しないとさえ伝えてくれているようだ。
今も、東京に路面電車が走っていたら、どんなだったのだろうか。
想像を許さない程東京は変貌を遂げた。
東京には、かわいい路面電車がある。
普段はそれさえ忘れるほど、遠い存在であるが、ふとしたきっかけで乗りたくなる。
それは、失った時間は存在しない事を確かめる時間を与えてくれるからだ。
歴史的な継続性において、いつもでも続くものはない、必ず淘汰され消滅してゆく。
それでも、そんな真実なんて何のその。今でも、東京には路面電車が走っている。

2022年5月9日 東京

都会の路面電車

今もなお、東京を走る路面電車。
子供の頃は、かろうじてまだ走っていた。
ちょうど路線が廃止されて行く過渡期だった。
幼稚園の頃、三越に行く時は、いつも肌色とオレンジ色の中間色に、赤いラインが入っていた都電の22番を使っていた。
だから、薄っすらと記憶にある。
あれから、残ったのは、ただ一線だけ、それはすべてが淘汰され尽くした結果だ。
これまで見てきた地方都市の路面電車に比べたら、東京の路面電車はどことなく寂しげに映る。
人々の生活の足はまるで、遊園地の乗り物のようにゆっくりと街中を抜ける。
それは、都会にふさわしく無関心で、誰にも干渉されない姿だ。
その姿に「なんか、いいよね。」思わずそう言いたくなる。
低速度で揺れる乗り心地でさえ、「なんか、いいよね。」と言いたくなる。
嬉しい事に、今でも、出発の時「チンチン」と音を立てる。
どこか、懐かしく、その音色は、失った時間は存在しないとさえ伝えてくれているようだ。
今も、東京に路面電車が走っていたら、どんなだったのだろうか。
想像を許さない程東京は変貌を遂げた。
東京には、かわいい路面電車がある。
普段はそれさえ忘れるほど、遠い存在であるが、ふとしたきっかけで乗りたくなる。
それは、失った時間は存在しない事を確かめる時間を与えてくれるからだ。
歴史的な継続性において、いつもでも続くものはない、必ず淘汰され消滅してゆく。
それでも、そんな真実なんて何のその。今でも、東京には路面電車が走っている。

2022年5月9日 東京

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