霞んだ向こう側
霞んだ向こう側
バス停が燃えていた。
昔、バルセロナで使っていた大学のそばのバス停の姿だった。
それは、あまりにも無残な姿だった。
YoutubeのLive番組では、カタルーニャ独立運動の騒乱が映されていた。
日本は音が過ぎ去った深夜だった。
荒れ狂う若者たちの姿は、痛々しくさえ感じられた。
あの美しい街が、悲壮感を漂わせていた。
一万数千キロ離れた場所から見る画面の向こう側は、恐ろしい位荒れ果てていた。
20代の殆どを過ごした街とは思えなかった。見覚えのある街角は、どこか見知らぬ土地のようだった。
画面を見つめていて、物凄く悲しくなった。涙は流さなくなっていたのに、涙が流れた。
大学から家路に向かうバスの中、夜のとばりがおり始めた時間、あの土地に生きる人々に混ざって、この地に骨を埋めるかもしれないと思った。
あれから運命が沢山悪戯をした。
またヨーロッパに戻れると信じていたが、夢は叶わず戻れなかった。
冬の日本海を見に行った。目まぐるしく変わる景色の中。
雪と波に霞む向こうに、あの頃の姿が浮かんだ。
あの時以来だ、あの霞む向こうの姿に、骨を埋めてもいいなと思った。
あの時と同じ、気持ちになった。
どこかで今も、あの時間が生き続けている気がした。
マッドリッドで、スペイン人の女友達が、
「バルセロナにはもういかないの。」
と尋ねられた時があった。
「若い時の自分には、会いたくない。バルセロナには思い出だらけだから、多分、街中で苦しむ。」
と言ったら、
彼女は悲しそうな顔をしていた。
そのスペイン人の女友達がマドリッドから東京に来た時、私が
「今度、スペインに行ったら、バルセロナに行く。」
と告げたら、嬉しそうに笑った。
彼女が日本を旅立つ前の晩、ホテルのレストランでのひとときだった。
霞んだ向こう側、またバルセロナを、そしてあの海を訪れる。
2022年2月17日 東京
霞んだ向こう側
バス停が燃えていた。
昔、バルセロナで使っていた大学のそばのバス停の姿だった。
それは、あまりにも無残な姿だった。
YoutubeのLive番組では、カタルーニャ独立運動の騒乱が映されていた。
日本は音が過ぎ去った深夜だった。
荒れ狂う若者たちの姿は、痛々しくさえ感じられた。
あの美しい街が、悲壮感を漂わせていた。
一万数千キロ離れた場所から見る画面の向こう側は、恐ろしい位荒れ果てていた。
20代の殆どを過ごした街とは思えなかった。見覚えのある街角は、どこか見知らぬ土地のようだった。
画面を見つめていて、物凄く悲しくなった。涙は流さなくなっていたのに、涙が流れた。
大学から家路に向かうバスの中、夜のとばりがおり始めた時間、あの土地に生きる人々に混ざって、この地に骨を埋めるかもしれないと思った。
あれから運命が沢山悪戯をした。
またヨーロッパに戻れると信じていたが、夢は叶わず戻れなかった。
冬の日本海を見に行った。目まぐるしく変わる景色の中。
雪と波に霞む向こうに、あの頃の姿が浮かんだ。
あの時以来だ、あの霞む向こうの姿に、骨を埋めてもいいなと思った。
あの時と同じ、気持ちになった。
どこかで今も、あの時間が生き続けている気がした。
マッドリッドで、スペイン人の女友達が、
「バルセロナにはもういかないの。」
と尋ねられた時があった。
「若い時の自分には、会いたくない。バルセロナには思い出だらけだから、多分、街中で苦しむ。」
と言ったら、
彼女は悲しそうな顔をしていた。
そのスペイン人の女友達がマドリッドから東京に来た時、私が
「今度、スペインに行ったら、バルセロナに行く。」
と告げたら、嬉しそうに笑った。
彼女が日本を旅立つ前の晩、ホテルのレストランでのひとときだった。
霞んだ向こう側、またバルセロナを、そしてあの海を訪れる。
2022年2月17日 東京