五能線

五能線

どうしても雪の日本海を見たかった。だから、青森に向かう五能線経由の列車を選んだ。
朝、大荒れの中でも、五能線は平常通り運行をしていた。
列車が出発する際、見知らぬ土地、見知らぬ海が見えるという高揚感より、大荒れの天候の中運行して大丈夫なのかと心配になる方が先立った。
五能線に向かい走り進めるうちに、線路は真っ白く塗りつぶされているかのようなった。
風が、音を立てて辺りにぶつかった。雪は、容赦なく降り続けた。
やがて、東能代から五能線が始まった。海に出るまでは、そんなに時間はかからなかった。
幾重にも重なる白く砕ける波が、日本海の厳しさを物語っていた。
目の前に広がる光景に、これを見に来たんだと心の中で呟いた。
ムーンライト越後が、まだ走っていた頃。
早朝、新潟から越後線で、日本海沿いを走る信越線を目指した。
乗り始めてしばらくすると、途中、田んぼの中で急停車した。
運転手が慌てて外に走って行った。
止まったままの車窓、白い鳥たちが沢山いたのが印象的だった。
列車の中は、地元の学生達の声に溢れていた。
「どうしたのだろうね。」
車内では、そんな会話が聞こえてきた。
しばらく止まった後、列車は何もなかったかのように走り始めた。
乗り換えする駅に着いた時には、ただ、遅延を詫びるアナウンスがあり、何が起きたのかも知るすべはなかった。
越後線に乗った後で、小さな駅で、おばあさんと小さな子供が私の隣に座った。
子供は正面に向いて座ることなく、すぐに車窓に向かって座った。おばあさんが、そっと子供の靴を脱がした。
突然、目の前がゆっくりと開け行き、日本海が、エメラルドグリーンを湛える色を眼前に映した。
子供がその光景を無心に見つめ、
「綺麗だね。」
と感嘆しているような声をした。
おばあさんも、一緒に窓の外、海を見ながら、
「綺麗だね。」
と優しさに溢れる声で答えた。
子供の声に、私は肺腑を突かれるような気がした。それ以上の表現は、その以上の言い方は聞いた事がない気がした。
その時初めて、日本海はエメラルド色を持っている事を知った。
日本海から離れてから、妙高高原辺りで、いや、もっと過ぎてからかもしれない、越後線が何故田んぼの中で止まったかの理由を知った。
小学生が亡くなったとニュースでは告げていた。
その時、鳥肌が立った。
エメラルド色の海を見て、
「綺麗だね。」
と言った子供の声が、頭の中で反響し続けた。
東京まで、その声は離れる事はなかった。
日本海では、臨海学校も開かれていた暑い夏の盛りだった。
五能線は、時に、吹雪の中、時に所々で青空と太陽さえ見せる中を走り続けた。天候の変化が如何に激しく移り変わるか、手に取るように分かった。
海に押し寄せる波でさえ、時に崩れず、時に幾重にも重なり合うようになり、その土地の自然の複雑さを伝えていた。
誰もいない海岸線、整然と並べられた小さな船がある漁村、そして、凍結して、車も走っていない真っ白な道路。
一体ここはどこなのかと思った。一体、この光景は何なのかとさえ思った。
目を奪われ続けた継続の中で、白波が崩れない、海岸線に一番近い一筋に、エメラルドグリーンが映った。
あの夏に見た時のエメラルドグリーンにつながる色だった。
あの時は繋がった。
エメラルドグリーンの海の向こうから、
「綺麗だね。」
と子供の声が聞こえた。あの時に聞いた声がした。
五能線に乗ったのは、この冬の荒れる日本海に会いに来たのではなく、あの夏の二律背反に会いに来たのだ信じた。
五能線。
夢が夢と重なって、厳しく砕ける白波にそっと寄り添う、そんな列車の気がした。
今度は、快速ではなく、各駅停車だ。
エメラルドグリーンを湛えたあの海岸を見に行く。
あの海岸に降り立ち、
「綺麗だね。」
私は、あの時の子供にそう告げるつもりだ。

2021年12月31日 東京

五能線

どうしても雪の日本海を見たかった。だから、青森に向かう五能線経由の列車を選んだ。
朝、大荒れの中でも、五能線は平常通り運行をしていた。
列車が出発する際、見知らぬ土地、見知らぬ海が見えるという高揚感より、大荒れの天候の中運行して大丈夫なのかと心配になる方が先立った。
五能線に向かい走り進めるうちに、線路は真っ白く塗りつぶされているかのようなった。
風が、音を立てて辺りにぶつかった。雪は、容赦なく降り続けた。
やがて、東能代から五能線が始まった。海に出るまでは、そんなに時間はかからなかった。
幾重にも重なる白く砕ける波が、日本海の厳しさを物語っていた。
目の前に広がる光景に、これを見に来たんだと心の中で呟いた。
ムーンライト越後が、まだ走っていた頃。
早朝、新潟から越後線で、日本海沿いを走る信越線を目指した。
乗り始めてしばらくすると、途中、田んぼの中で急停車した。
運転手が慌てて外に走って行った。
止まったままの車窓、白い鳥たちが沢山いたのが印象的だった。
列車の中は、地元の学生達の声に溢れていた。
「どうしたのだろうね。」
車内では、そんな会話が聞こえてきた。
しばらく止まった後、列車は何もなかったかのように走り始めた。
乗り換えする駅に着いた時には、ただ、遅延を詫びるアナウンスがあり、何が起きたのかも知るすべはなかった。
越後線に乗った後で、小さな駅で、おばあさんと小さな子供が私の隣に座った。
子供は正面に向いて座ることなく、すぐに車窓に向かって座った。おばあさんが、そっと子供の靴を脱がした。
突然、目の前がゆっくりと開け行き、日本海が、エメラルドグリーンを湛える色を眼前に映した。
子供がその光景を無心に見つめ、
「綺麗だね。」
と感嘆しているような声をした。
おばあさんも、一緒に窓の外、海を見ながら、
「綺麗だね。」
と優しさに溢れる声で答えた。
子供の声に、私は肺腑を突かれるような気がした。それ以上の表現は、その以上の言い方は聞いた事がない気がした。
その時初めて、日本海はエメラルド色を持っている事を知った。
日本海から離れてから、妙高高原辺りで、いや、もっと過ぎてからかもしれない、越後線が何故田んぼの中で止まったかの理由を知った。
小学生が亡くなったとニュースでは告げていた。
その時、鳥肌が立った。
エメラルド色の海を見て、
「綺麗だね。」
と言った子供の声が、頭の中で反響し続けた。
東京まで、その声は離れる事はなかった。
日本海では、臨海学校も開かれていた暑い夏の盛りだった。
五能線は、時に、吹雪の中、時に所々で青空と太陽さえ見せる中を走り続けた。天候の変化が如何に激しく移り変わるか、手に取るように分かった。
海に押し寄せる波でさえ、時に崩れず、時に幾重にも重なり合うようになり、その土地の自然の複雑さを伝えていた。
誰もいない海岸線、整然と並べられた小さな船がある漁村、そして、凍結して、車も走っていない真っ白な道路。
一体ここはどこなのかと思った。一体、この光景は何なのかとさえ思った。
目を奪われ続けた継続の中で、白波が崩れない、海岸線に一番近い一筋に、エメラルドグリーンが映った。
あの夏に見た時のエメラルドグリーンにつながる色だった。
あの時は繋がった。
エメラルドグリーンの海の向こうから、
「綺麗だね。」
と子供の声が聞こえた。あの時に聞いた声がした。
五能線に乗ったのは、この冬の荒れる日本海に会いに来たのではなく、あの夏の二律背反に会いに来たのだ信じた。
五能線。
夢が夢と重なって、厳しく砕ける白波にそっと寄り添う、そんな列車の気がした。
今度は、快速ではなく、各駅停車だ。
エメラルドグリーンを湛えたあの海岸を見に行く。
あの海岸に降り立ち、
「綺麗だね。」
私は、あの時の子供にそう告げるつもりだ。

2021年12月31日 東京

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