土砂降り

土砂降り

適応出来なければ、淘汰されるだけ、人間の存在も淘汰の末に今に成り果てた。適応していかなければ、自然と排他の中に組み込まれてゆくだけ。社会から切り離され、見捨てられ、そして完全に捨て去られる。
現代において時代に適応する事は、努力とも違う、何故なら、適応させる事だけで、いとも簡単に大金を掴める時代だから。努力は無用の長物になった。
主観性と世界の関わり、その単純性の中だけに存在があり、その存在が淘汰されて行くだけになった。いや、存在そのものも適応できなくて、淘汰されたから今の姿になった。
淘汰された結果、それが今という時間のすべてになった。
やがて、淘汰された結果の構造上に、存在は仮想的な居場所を求め始めた。仮想の中に居れば、現実から逃避していられる、現実に対峙なんて必要なくなる。それが、現代の救済になった。
淘汰されることのない仮想の中に、自分を逃避させ、それを唯一の救いにしているだけにさえ感じられた。何故なら、適応しなければ淘汰されるという、単純さが絶対に置き換わって横たわっているからだった。
不幸なことにも、仮想の世界でさえ、現実は本当の姿を見せ始めた。仮想の世界によってさえ、存在それ自体を淘汰し始めた。仮想に逃げ込み、そして、仮想に淘汰される。本当は、救いさえも淘汰されていた。それを喪失というのだろうか。

無人の電車が止まっていた。
車内に光が輝き、窓から光が抜けて辺りを光に包んだ。誰も乗っていない電車に光がただ灯っていた。
電車がゆっくりと操車場を走り抜ける時、突然、電車の屋根に大粒の雨が叩きつけられた。
激しい音が、車内の音さえ悉く消し去った。
大雨が降り始めた夜の操車場。
広い敷地に、白い光がこうこうと照らされた中で、土砂降りの音が未来へと続いた。
操車場の横を走り抜ける満員電車に、さらに大粒の雨粒が容赦なく叩きつけた。
荒涼と孤独、そして、言いしれないほどの無機質。そんな表現さえも必要ない感性が包んだ。それは、言語革命がいつしか起きて、これまで表現したことさえも消え去ってゆくような時間だった。
都会に映された表情、現実が非言語化を試みる、それだけがすべてになった、人と物質の介在性なんて、失い去っていつしか同化した姿だった。
その同化した姿を露呈する中、雨は、一層激しさを増した。やがて操車場を過ぎると駅に着いた。
決まりごとのように人を乗せ換えた。やがて、電車がスピードを次第に上げてゆく中、雨が、電車の窓を伝わって行った。窓を流れてゆく雨粒の中に、街の光が輝いた。美しさが雨粒に滲んでいた。
やや、小降りになった雨の中、駅には、光が消えた電車が止まっていた。止まっている電車の中、身動きもままならない位、人が沢山乗っていた。一切の動きを止め、非常停止されたブザーだけがけたたましく反響していた。何かが起こった証拠だった。
駅員が慌てながら、ホームを走っていった。
金曜日の夜、週末を楽しんだ人で都会の真ん中の駅は溢れていた。サラリーマンの街といういつもの形容が、そこだけ消滅していた。駅に着く直前、人身事故があったと電車のアナウンスは告げていた。
それでも、電車の中は賑やかだった。
酔っている人の笑い声が車内に響き渡った。宴会はなおも、電車の中でずっと続いているようだった。
他人の死なんて、関係ない、飛び込んだ奴は社会から淘汰されただけだ。今、彼は淘汰されました、それ以上でも、それ以下でもない現実だった。
最後まで彼は迷惑をかけました、だから、どちらでもいいのです。死ぬしかなかった、かわいそうに位にしか心に映らない、いや、人の心にはそれさえも映らなくなった。そう人々は言っているようだった。けれど、それとは裏腹に淘汰された自殺者は、自分の存在を最後の主張としたようだった。
それは、まさに現実世界で生きるという事自体、他人の死に対しては痛みもない、死という絶対に感情が映されなくなった結果のようだった。
そして、死という絶対そのものが、淘汰された後姿を映していた。
その後ろ姿は、仮想が人間の精神を変えたからにしか考えられなかった。仮想によって救済を求めた結果、死という事象さえも感情から淘汰された。死という絶対の仮想化、本来ありえないはずの真実さえも、そう、死をも仮想的にしてしまった。
まるで、ゲームの中、ゲームに夢中なその姿が、その場にあった。
だから、仮想に生きながらも、現実に淘汰されてゆく。
相矛盾する世界、目まぐるしく移り変わる世界で、適応できなければ淘汰されるだけの単純性。
彼は、電車に飛び込んで死にました。
その現象があるだけ、電車が止まって、帰宅できなくなり迷惑だ、人はそうとしか考えない、そこに、死の痛みさえ、超越した人間の姿が露呈していただけだった。
「最近、自殺者多くね。」
若者なんて、その一言で人の死を片付ける。
死を悼むなんて気持ちはない。最後まで、人に迷惑をかけやがってという、迷惑と困惑しか残らない。
しばらく、止まり続けた電車に再び土砂降りが訪れた。
雨は、容赦なく降り続けた。線路に残された、流れ出した血も、肉片さえすべて流してゆくような雨だった。
現実は、仮想ではなく、ただの現実だ。一つの現象にしか過ぎない。
明日になれば、雨がやんで、ホームの端には、花が供えられる。もし、その死を悼む人が本当に存在するなら。しばらくの間供えられていた花さえ、時間が経てば供えられなくなり、消え去ってゆく。すべての存在なんて、時間と共に消え去ってゆく。
土砂降りの雨が去ってゆくように、すべてが去ってゆく。土砂降りの雨は、すべてを洗い流した後で、跡形もなく消え去ってゆく。
真実の核心は、淘汰される中では隠さなければならない。何故なら、仮想が崩れて淘汰されるのだから。まるで、人は、心を失った機械のようになった、生まれたから生きる、それだけだが核心に移り変わった。本当は、存在的な意義さえもない。テロが起きて、さっきまで生きていた人が大量に死にました。スーパーマーケットで拳銃を乱射しましたなんてニュースなんて、縁起が悪いと、チャンネルを変えられ、お笑い番組に変えられ、次の瞬間は、テレビと一緒に笑っているだけだ。
笑えば、無機質さなんて何も関係なくなる。一瞬でさえ、現実から逃避出来る。
しばらくして、電車が走り始めた。
人の声は、止まらない土砂降りだけは、ずっと変わらなかった。
扉が閉まる瞬間、一人の女が強引に電車に乗ってきた。
私は、窓越しに流れ去る都会の姿を見た。
女もガラス越しに雨の姿の都会を見ていた。ガラス窓に映る目と目が合った。女がさっと、ガラス越しから視線を離し、目を伏せた。
次々に訪れる水滴が、窓にしがみついた。窓にしがみついた水滴の一つが輝き、また、都会の姿を映した。水滴の中に世界があって、その世界は、誰も立ち入ることの出来ない世界があるのだと伝えていた。
やがて、電車は減速し、土砂降りの中、電車のブレーキが響いた。
本当は、この電車さえどこに向かうのか、分からないさえ気がした。
このまま不確かな存在のままで、人間は感情を失ってゆき、淘汰されてゆく。それは、救うために、欲望も、死をも仮想化したから、仮想の中でも淘汰が始まっただけなのだと。
明日自分も淘汰されるかもしれない、そんな不安が呼び覚まされた。
けれど、例え明日淘汰されたとしても、誰も悲しまない。
自分が他人の死を悲しまないように、自分の死なんて他人は悲しまない。
また、電車が止まった。そして、また扉が開いた。
都会の雨、その姿は、いつもの街の姿を隠し続けていた。
その日、土砂降りは、夜遅くまで続いた。
次の日、街は見事な位の青い空に包まれた。



土砂降り

適応出来なければ、淘汰されるだけ、人間の存在も淘汰の末に今に成り果てた。適応していかなければ、自然と排他の中に組み込まれてゆくだけ。社会から切り離され、見捨てられ、そして完全に捨て去られる。
現代において時代に適応する事は、努力とも違う、何故なら、適応させる事だけで、いとも簡単に大金を掴める時代だから。努力は無用の長物になった。
主観性と世界の関わり、その単純性の中だけに存在があり、その存在が淘汰されて行くだけになった。いや、存在そのものも適応できなくて、淘汰されたから今の姿になった。
淘汰された結果、それが今という時間のすべてになった。
やがて、淘汰された結果の構造上に、存在は仮想的な居場所を求め始めた。仮想の中に居れば、現実から逃避していられる、現実に対峙なんて必要なくなる。それが、現代の救済になった。
淘汰されることのない仮想の中に、自分を逃避させ、それを唯一の救いにしているだけにさえ感じられた。何故なら、適応しなければ淘汰されるという、単純さが絶対に置き換わって横たわっているからだった。
不幸なことにも、仮想の世界でさえ、現実は本当の姿を見せ始めた。仮想の世界によってさえ、存在それ自体を淘汰し始めた。仮想に逃げ込み、そして、仮想に淘汰される。本当は、救いさえも淘汰されていた。それを喪失というのだろうか。

無人の電車が止まっていた。
車内に光が輝き、窓から光が抜けて辺りを光に包んだ。誰も乗っていない電車に光がただ灯っていた。
電車がゆっくりと操車場を走り抜ける時、突然、電車の屋根に大粒の雨が叩きつけられた。
激しい音が、車内の音さえ悉く消し去った。
大雨が降り始めた夜の操車場。
広い敷地に、白い光がこうこうと照らされた中で、土砂降りの音が未来へと続いた。
操車場の横を走り抜ける満員電車に、さらに大粒の雨粒が容赦なく叩きつけた。
荒涼と孤独、そして、言いしれないほどの無機質。そんな表現さえも必要ない感性が包んだ。それは、言語革命がいつしか起きて、これまで表現したことさえも消え去ってゆくような時間だった。
都会に映された表情、現実が非言語化を試みる、それだけがすべてになった、人と物質の介在性なんて、失い去っていつしか同化した姿だった。
その同化した姿を露呈する中、雨は、一層激しさを増した。やがて操車場を過ぎると駅に着いた。
決まりごとのように人を乗せ換えた。やがて、電車がスピードを次第に上げてゆく中、雨が、電車の窓を伝わって行った。窓を流れてゆく雨粒の中に、街の光が輝いた。美しさが雨粒に滲んでいた。
やや、小降りになった雨の中、駅には、光が消えた電車が止まっていた。止まっている電車の中、身動きもままならない位、人が沢山乗っていた。一切の動きを止め、非常停止されたブザーだけがけたたましく反響していた。何かが起こった証拠だった。
駅員が慌てながら、ホームを走っていった。
金曜日の夜、週末を楽しんだ人で都会の真ん中の駅は溢れていた。サラリーマンの街といういつもの形容が、そこだけ消滅していた。駅に着く直前、人身事故があったと電車のアナウンスは告げていた。
それでも、電車の中は賑やかだった。
酔っている人の笑い声が車内に響き渡った。宴会はなおも、電車の中でずっと続いているようだった。
他人の死なんて、関係ない、飛び込んだ奴は社会から淘汰されただけだ。今、彼は淘汰されました、それ以上でも、それ以下でもない現実だった。
最後まで彼は迷惑をかけました、だから、どちらでもいいのです。死ぬしかなかった、かわいそうに位にしか心に映らない、いや、人の心にはそれさえも映らなくなった。そう人々は言っているようだった。けれど、それとは裏腹に淘汰された自殺者は、自分の存在を最後の主張としたようだった。
それは、まさに現実世界で生きるという事自体、他人の死に対しては痛みもない、死という絶対に感情が映されなくなった結果のようだった。
そして、死という絶対そのものが、淘汰された後姿を映していた。
その後ろ姿は、仮想が人間の精神を変えたからにしか考えられなかった。仮想によって救済を求めた結果、死という事象さえも感情から淘汰された。死という絶対の仮想化、本来ありえないはずの真実さえも、そう、死をも仮想的にしてしまった。
まるで、ゲームの中、ゲームに夢中なその姿が、その場にあった。
だから、仮想に生きながらも、現実に淘汰されてゆく。
相矛盾する世界、目まぐるしく移り変わる世界で、適応できなければ淘汰されるだけの単純性。
彼は、電車に飛び込んで死にました。
その現象があるだけ、電車が止まって、帰宅できなくなり迷惑だ、人はそうとしか考えない、そこに、死の痛みさえ、超越した人間の姿が露呈していただけだった。
「最近、自殺者多くね。」
若者なんて、その一言で人の死を片付ける。
死を悼むなんて気持ちはない。最後まで、人に迷惑をかけやがってという、迷惑と困惑しか残らない。
しばらく、止まり続けた電車に再び土砂降りが訪れた。
雨は、容赦なく降り続けた。線路に残された、流れ出した血も、肉片さえすべて流してゆくような雨だった。
現実は、仮想ではなく、ただの現実だ。一つの現象にしか過ぎない。
明日になれば、雨がやんで、ホームの端には、花が供えられる。もし、その死を悼む人が本当に存在するなら。しばらくの間供えられていた花さえ、時間が経てば供えられなくなり、消え去ってゆく。すべての存在なんて、時間と共に消え去ってゆく。
土砂降りの雨が去ってゆくように、すべてが去ってゆく。土砂降りの雨は、すべてを洗い流した後で、跡形もなく消え去ってゆく。
真実の核心は、淘汰される中では隠さなければならない。何故なら、仮想が崩れて淘汰されるのだから。まるで、人は、心を失った機械のようになった、生まれたから生きる、それだけだが核心に移り変わった。本当は、存在的な意義さえもない。テロが起きて、さっきまで生きていた人が大量に死にました。スーパーマーケットで拳銃を乱射しましたなんてニュースなんて、縁起が悪いと、チャンネルを変えられ、お笑い番組に変えられ、次の瞬間は、テレビと一緒に笑っているだけだ。
笑えば、無機質さなんて何も関係なくなる。一瞬でさえ、現実から逃避出来る。
しばらくして、電車が走り始めた。
人の声は、止まらない土砂降りだけは、ずっと変わらなかった。
扉が閉まる瞬間、一人の女が強引に電車に乗ってきた。
私は、窓越しに流れ去る都会の姿を見た。
女もガラス越しに雨の姿の都会を見ていた。ガラス窓に映る目と目が合った。女がさっと、ガラス越しから視線を離し、目を伏せた。
次々に訪れる水滴が、窓にしがみついた。窓にしがみついた水滴の一つが輝き、また、都会の姿を映した。水滴の中に世界があって、その世界は、誰も立ち入ることの出来ない世界があるのだと伝えていた。
やがて、電車は減速し、土砂降りの中、電車のブレーキが響いた。
本当は、この電車さえどこに向かうのか、分からないさえ気がした。
このまま不確かな存在のままで、人間は感情を失ってゆき、淘汰されてゆく。それは、救うために、欲望も、死をも仮想化したから、仮想の中でも淘汰が始まっただけなのだと。
明日自分も淘汰されるかもしれない、そんな不安が呼び覚まされた。
けれど、例え明日淘汰されたとしても、誰も悲しまない。
自分が他人の死を悲しまないように、自分の死なんて他人は悲しまない。
また、電車が止まった。そして、また扉が開いた。
都会の雨、その姿は、いつもの街の姿を隠し続けていた。
その日、土砂降りは、夜遅くまで続いた。
次の日、街は見事な位の青い空に包まれた。

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